2019年1月8日(火)
自宅で94歳になる母を介護して
介護することが親孝行の最後の務めと思ってやっています。食事、洗濯、掃除等長年やり続けてきています。この頃は排泄の後始末も必要になってきています。家族が協力してやっていますが、私の母ですので人に任せることはめったにありません。
長年介護保険料や年金等相当金額負担し続けていますが、それらのお金はどこに消えてしまったのでしょうか。家族介護の支えにはなっていません。今ではアメリカで自分がかけた保険を自分が使うという考え方にも一応の共感を覚えています。政府の外部委託団体の無駄使い(ビル建設や人件費など)でなくなってしまった責任を政府、行政担当者は何の賠償もしていません。法律をつくってお金を集金するだけでなく、その使い道をきちんと明らかにして、全国民が幸せ感を持てるように政治を執行してほしいと願っています。
自分で頑張って生きようとする人に光が当たり、生きざまの手本として人々が目指す姿になればと思っています。政治の過ちで多くの生活保護家庭を生み出し、働く意欲をなくし、人生に生きる喜びを見失っている人たちを目覚めさせる施策が執行されるようにしてほしいものです。
2019年1月9日(水)
スマホ依存
ある高校生と話していると、「ぼくは、」スマホから離れることはできない」と言う。全財産が入っているとも話した。家がなくてもいいが、スマホがなければ生活できないと訴える。連絡先や列車の時刻など必要な情報がすべて入っている。これがないと身動きが決められないと考えているのです。
人間はこれまでその人自身の単独の能力のみを評価してきていたのではないでしょうか。計算が速くできる。漢字を覚えている。社会の年表をよく知っているなど。しかし今や多くの日本人はスマートフォンを常に身につけて生活するようになっている。今日はどの店で食事をするか、移動で列車をどう乗り換えるかなどアプリの助けを借りて決めている。知り合いの住所、電話番号、メールアドレスなど大事な情報を人の頭で記憶せずにスマートフォンに記憶させているのです。スケジュールの管理や予定表も委ねている人もいます。
このようになってきた時代だからこそ、人間という概念を今一度考えてみることも必要になってきているのではないでしょうか。現状は人間とスマートフォンを合わせたものを新たな人間と見なして考えてもいいのではないかと思うのです。
人とは何なのか、しっかり考えることで自分の生きざまを見直す機会をつくっていくことも大切になってきているのです。