風の館からの便り(つれづれなるままに) No.352
                                                                           

   2017年4月10日(月)
      オートマチック

 どうして指示待ちの子どもや若者が増えているのでしょうか。「このゴミ、どこに捨てたらいいですか?」と聞くことはあっても、「ゴミ箱、どこにあるのですか」とゴミを捨てようと思っている自分が困っている情報を伝え、解決の手助けをしてほしいと相手に伝えようとしない。なかには聞くこともせず、誰かに指示されたり、教えられたりするのをただ待っている者も少なくない。
 他人がしていることを見て、考え、なぜ学ばないのでしょうか。見よう見まねでやってみれば、だいたい見当がつくと思うのですが、とにかく自分で考え、自分で判断しようとしない。判断することで生じる責任を過度に恐れているのでしょうか。それすら感じさせないオートマチックさがあるように感じます。勝手に判断してはいけない。周りに合わせなければトラブルになると思い込み、それが無自覚的に習慣化しているのです。
 便利で快適な暮らしは、手や足を動かし、頭や体を使って工夫する機会を大幅に奪っているのではないかと危惧しています。また、周到な指導や動機づけも好奇心を起点とした学びや発見のプロセスを奪うことにもつながる危険性があることに心を配り、意欲や主体性が機能するようにしなければ、結果として依存心の助長につながることもあるのです。
 活動を始める前に役割分担をしなくても、たっぷりとした時間と空間があれば、生活体験や自然体験をもとに自分にできることを見つけ出して動き始めます。また、作業に飽きた子や疲れた子は、適当に役割を変えたり、さらりと抜け出しています。自分にできること、必要とされることがわかれば、自ら動き出すのです。熱心にやっているからエライといった評価の目もなく、そもそもサボルという概念も存在しない活動なのです。
 自分の体を使い、考え、判断できる活動を子ども達といっしょに取り組んでみましょう。




   2017年4月11日(火)
      これからの学校の姿は

 新しい検定済みの教科書も出そろってきていますが、学校の教育活動はどう変わるのでしょうか。英語教育やアクティブラーニングの研修で先生方は大忙しにならなければよいのですが。学習は覚えることも大切ですが、自分で気づき、考え、解決の行動がとれるようになる力を子どもたちに身につけさせたいと考えています。
 商業高校に通っている生徒が言っていたのですが、販売の現場では計算がいらなくなって機器の操作がわかればよい。計算はコンピューターがやり、支払いも機械に入れるだけでおつりも出てくるとのこと。これからは何を勉強して身につければいいのでしょうね。環境の変化が激しく、適応できない自分の姿が少し不安に感じています。
 これからの学校の姿を立ち止まって考えてもよいのではないでしょうか。