風の館からの便り(つれづれなるままに) No.342
                                                                           

   2016年12月4日(日)
      挨拶するのが当たり前だと思っているあなたへ

 なぜ現代社会では挨拶が必要なのでしょうか。考えたことがありますか。東北や九州の農山村に出かけてみてください。朝の「おはよう」の挨拶よりも「どこへ行くか」「起きたか」「早いな」「出かけるのか」などいきなり本題に入って自分の行動が話題にされることを体験した人はいませんか。挨拶らしい挨拶を交わさない地域が今でも残っているのです。それがその土地の地域性でもあるのです。つまり人口が少なく周りの人はすべて知人なのです。
 ところが大都市では、さまざまな立場の人々がj共存し、見ず知らずの人たちが多く入り込み、不安定な社会構造になっているため挨拶が必要となっているのです。内輪のよく知った者同士が暮らす社会では、そもそも挨拶の必要性は低かったのではないでしょうか。挨拶は社会の複雑さを反映する指標でもあるとも言えるのです。
 挨拶は社交的な言語活動であり、相手と良好な関係をつくったり、維持したりするために挨拶するのではないでしょうか。知らない人だからこそ挨拶が必要なのです。子ども達に知らない人に「口をきくな」と教えている大人は、子どもの安全を守ることにつながっていないことを知ってください。自分の子どもの存在を地域の多くの大人に知ってもらうことが目が届き、変わった動きをしているとすぐ連絡が入るようになります。お互いがよく知りあいになることが、その地域の安全を確保することにもつながるのです。



   2016年12月5日(月)
      老人になったが、元気な朗人(ろうじん)でいたい

 昔の人の言う風流な老いの四季が私にも巡ってきつつあります。
 目はかすみ(春)耳はせみ鳴き(夏)歯は落ちて(秋)頭に霜をいただけるかな(冬)
 誰にもおこる老化、私は老化のスローダウンのために自分で育てた食材を使って料理した食事とほどほどに体を動かす農作業を続け、身体機能や生活活動の低下を防ぐように日々過ごすことを心がけています。
 食べることは生きることの基本です。おいしく、おしゃべりしながら楽しく食べる口福(こうふく)は人生を豊かにすると思うのです。おいしいと思う感性がなくならなければ、生きる力は衰えることはないと信じています。
 誰もが身につけていて、いつでもできる行為「やさしいまなざし、穏やかな言葉、にこやかな笑顔」に心がけ、老人になったと言われ、動作も鈍くなってきているが、朗人になり、人も元気、私も元気でいたいと願って日々生活しています。