風の館からの便り(つれづれなるままに) No.332
                                                                           

   2016年7月28日(木)
      「いただきます」は、すてきな言葉

 お母さんは、毎日の台所仕事はつらくなる時があるかもしれません。そんな時は、台所から一度出て、外の空気で深呼吸をしてみてください。その時、食べてくれる人の子どものような笑顔を思いうかべながら気分転換してみましょう。
 古来より日本では、台所は神聖な場所で、神様がいると言われてきました。人それぞれ年齢や生活、忙しさも違います。食事の準備も出来合いで間に合わせたり、手抜きすることが時にはあるかもしれませんが、「さぼっているかな」「がんばっていない」と思うのではなく、自分がよいと思って選んだものであれば、食材を信じて、子どもといっしょにいただきましょう。
 不思議なもので、食事をつくる気持ちが変わると、それを食べる家族の気持ちも変わります。そうなるために、1つ、台所を神聖な場所と思うこと、2つ、自分が口に入れるものは、納得のいくものを選ぶ、3つ、食べた人が元気になるイメージでごはんをつくる、4つ、手を合わせて感謝して、食材の命をいただきますと心から言って食事を始めてみてください。当たり前のことかもしれませんが、ささいな一つひとつのことが積み重なり、きっと今より幸せな気分を感じられるようになります。
 これからの社会生活の中では、ファーストフード店では料理はロボットがつくるようになり、料理すること、そのものがなくなるかもしれません。そのため、子ども達の味覚や嗅覚を育む機会をつくらなければ、偏った食事になってしまいます。洗濯も洗う干すといった作業をしなくてすみ、お風呂もボタン一つで入ることができ、掃除もロボットがゴミを寝ているうちにとってくれます。便利になりすぎて不安を感じます。子ども達といっしょに食事をつくり、食べる時間を大切にしていきたいものです。


   2016年7月29日(金)
      子ども達の心身のリズムに応じた休みを

 日本の休日は何を中心に考えられ、決められているのでしょうか。子どもの疲労度に着目してこまめに休ませるという考え方は、考慮されていないように思いますが、実際のところどうなのでしょうか。
 会社の労務管理上、会社や労働者の視点で連休等の休養の時間がつくられているように思います。そして、三連休などをつくるために祝日を変更し、祝日の本来の意味や意義づけが失われたように思うのは私だけでしょうか。社会の動きに連動して学校も土、日、祝日を休みにして家族のふれあいや体を休める時間になるように願ったのですが、現実の子どもの姿は休み明けはぐったりと疲れ切ったようすをしているのです。
 体も心もしっかり休養して、ワクワクした気持ちで友だちに学校で会い、授業に臨んでほしいのですが、現実はどうしてこんなにかけ離れているのでしょうか。それは、大人の都合を子どもの生活に持ち込みすぎているからではないでしょうか。
 子ども達の心身のリズムに応じた休養がとれるように学校の教育課程をそれぞれの地域の実情にあわせてふり返ってみることが今必要なのではないでしょうか。午前中はなるべく静かに考える教科を配置し、午後には身体が覚醒した体をしっかり動かす体育や技能教科を配置し、また月・火、木・金は学校主体で、水・土は地域との協働で学習課程を計画してみてはどうでしょうか。ここで重視してほしいのは子どもの疲労度であり、それに基づいた心身に無理のない子ども達の学習のしやすさを大切にしてほしいのです。