2015年6月22日(月)
学びと生活をつなぐ
学力は付いているが、きちんと生活ができない人が増えてきているのではないかと心配し、相談に来られた方がいます。基本的生活習慣の育成とか主体的に生活する力とか耳ざわりのよい言葉が使われているのですが、目の前の子どもの姿にどう働きかけて改善しようとするのか理解できないことがあるそうです。箒や雑巾を使っての掃除が学校では指導されていますが、箒を目的にあわせて選択することができるでしょうか。箒の特質にあわせた使い方を身につけているのでしょうか。雑巾を絞ることができますか。拭いた後、バケツの中でどう洗うのかわかっていますか。やらせてはいますが、身について生活に生かされているのか振り返ってみてください。
話す力・聞く力の習得。自分の思いを伝えたり、人の話に耳を傾けて思いを最後まで聞き、理解したりする力はどうでしょうか。保護者がメールをしながら子どもの話を聞いている姿を見続ければ、目を見て人の話を聞くという基本的なことができません。メールを返す時間は少し遅れても、子どもとの大事な時間は帰ってこないことを保護者に啓発することは大切です。
多くの友だちや人と出会い、その場の雰囲気を感じ取って、うまく折り合いをつけて生活することができるようになるために、試行錯誤しながら遊びや体験できるような環境を整備していきたいものです。
2015年6月23日(火)
鳥取県人の「煮えたら食わあいや」からの脱却
自分に都合がよくなってから参加するのではなく、最初から準備し、作業をし、出来上がってみんなで楽しみならが過ごすようにできないものでしょうか。
先日河原の葦の草刈りをしました。長年放置されたままになっていたのを見かねて、有志を募って作業をしました。12名の参加があり、おおむねできましたが残った部分もあります。今度の日曜日も作業をしなければ終わりそうにありません。がんばります。
仕事で忙しいですが、やりくりをしてやっていくしかありません。行政は不便なところに住み続けるのではなく、便利なところに移り住めばよいと考えているようです。農地も今はやってくれる人がいるので荒れずにすんでいますが、もうすぐ耕作放棄地だらけになってしまいます。食料も外国から今のようには輸入できなくなり、農水省の担当者は慌てるかもしれませんが、あとの祭りです。農作業技術者がいないのです。数十年にわたり後継者をつくらずにきたのです。中山間地のお年寄りの声を聞いた行政マンは一人もいません。苦労して作り上げた田畑も今は見る影もありません。食う人はいても煮る人がいなくなっているのです。