(1)もったいないという感性
消費文化だ、個人の自由だと言って過ごしてきた中で、忘れかけていたもの、それが「もったいないという感覚を子ども達に伝えること」です。まずいと言って食べ残しを平気でする子、汚いと言って汚れたものを洗おうとしない子、上靴や運動靴が何足も忘れ物として届けられたままになっています。購入した時、自分のものだと自分の名前をなぜ書かないのでしょうか。どうして親は書かせないのでしょうか。もったいない。
(2)食の生産技術を身につけること
家で仕事の手伝い、子どもはどれくらいしているのでしょうか。親はさせているのでしょうか。忙しい。子どもにさせると時間がかかるし二度手間になる。自分がした方が能率的だ。確かにその通りなのですが、やっていない子の生活技能の成長は止まったままなのです。
小学校5年生になって、家庭科実習が始まると顕著に現れます。針と糸の使い方に慣れた子、芋の皮を包丁を使ってうまく剥く子、何から洗濯したらいいかちゃんと分けて作業に取りかかれる子、皿などの後始末の要領がわかっている子など。
また、畑での作業の時にも、くわをうまく使いこなす子、草の抜き方を心得ている子、畝を上手にくわを使ってつくる子など。「大きくなったら自然にわかってくるわいや。」いえいえ、そうではありません。「ご飯は何からつくる」「お米」「パンは?」「小麦の粉」「味噌は?」「?」「しょうゆは?」「?」探求する心がない者は、知らぬままで何も疑問に思わないのです。