2014年2月27日(木)
いま、なぜ「ならぬことはならぬ」なのか
日本は経済大国にはなりましたが、物質文明先行の醜さが染み着いてしまったような気がするのだがどうなのでしょうか。かって日本には儒教的モラルというものがあり、分かりやすいかたちで、青少年の訓育がなされていました。
まず、「五徳」という五つの徳目がありました。「温、良、恭、検、譲」これらは読んで字のごとくこういう人格を備えねばならぬということは分かっていたのです。が今はどうなのでしょうか。子ども達が目にし、考える機会があるのでしょうか。
一方、「五常」という五つの常識もありました。「仁、義、礼、知、信」です。これらのモラルは大人社会の変貌とともに消失しつつあるのではないかと心配しています。就職できない若者の姿は、礼儀正しく、知性に富み、約束ごとは守るという会社にとって求められる資質を十分身につけていると理解されないためではないでしょうか。私が心配するのはそれ以上に「仁」と「義」の精神が消えようとしていることです。「仁」は他者に対する思いやりやいたわりの心です。今日では「福祉」、「ボランティア」とでも言うのでしょうか。「義」は人の正道です。ところが法治国家の名のもとに、おかしなことをしても法に触れなければ悪くないのです。孟子の言葉に「仁は人の心なり」「義は人の道なり」と説いています。忘れないようにしたいものです。
2014年2月28日(金)
子育てと子守り
子育てと子守りの違いは簡単に言ってしまえば、子守りはただ安全に過ごすこと。それに対して子育てには、安全はもちろんのこと、人としての人格形成や能力形成にも責任を持たなくてはなりません。子育てには責任があるのです。このごろ、子守りをしていれば子育てをしていると勘違いしている保護者が増えてきているように思います。確かに人間というのは、どんな子育てをしても大きくなっていきますが、それだけでは社会の構成員にはなれないのです。
親の役割は、ただ大きくするだけでいいなんて思っていませんか。日本社会でしっかり生活していくには、知恵をつけてあげなければなりません。かわいい我が子を社会生活の場に送り出すとしたら、危険予知力や身を守る技を身につけさせ、もし何かあった時には使えるようにするのです。知恵をつけず、能力もないのに「やればできる」なんてことはありません。能力があるからやればできるのです。
学校から出された宿題をするにも頭を使います。しかし、どうでしょう。宿題をするのに何時間もかかってしまうと自由が奪われます。でも、5分や10分ですぐ終えるぐらいの能力があれば、時間がいっぱい余ってのびのびした時間を過ごせます。本当の意味での子育てをしっかり考えるのが親の役目です。
