2014年2月7日(金)
子どもの「親」である意味を考えよう
子どもとどう向き合っていけばいいのか、悩んでいる保護者の方はいませんか。そんな悩みを誰にも相談できず、もやもやした気持ちのまま過ごしていませんか。
気持ちを聞き、相談にのってくれるのは先輩であるおじいさんでありおばあさんなのです。また、近所の親しい仲間なのです。ふだんからお互いの人間関係をつくらずにいて、困った時にはやってくれと虫のいい話をしても大人の世界では通用しません。そんな当たり前と思えることも、今は・・・。
自分たちでは手を汚さずにいて、でも何とかしてほしいという甘えの考え方が子どもの生活に見え隠れしていると感じるのは私の偏見でしょうか。親の背中を見て子どもは育つと言われていますが、同じように親も子どもの背中をしっかり見てやっているのでしょうか。何に喜び、何を悲しみ、何をしようとしているのかを。「親」という字は、木の上に立って子どもをしっかり見ているという願いがあるように思うのです。
前に出すぎて、子どもの自主性を奪ってはいないのか。おひな様みたいにまつりあげて、自分でする事を無くしておいて、その上に自分たちでやってごらんとくる。しらけきって大人を大人と見ていないのではないかと感じることもあるのです。そんな子どもに誰がしたときます。言い訳しても始まりません。
子どもに対して「おまえの親だ」と言いきれる誇りと自信を持ってほしいのです。それが子どもが安心して生活するもっとも良い方法なのです。
2014年2月8日(土)
体験は力なり、またそのプロセスこそ生きる力です
「いかなる環境におかれても、前向きに立ち向かうだけのエネルギーを持って、自分の力でのびのびと育ってほしい」と、親は子に思いを寄せます。子どもは、本来成長をめざす力を内在させており、それを発現させつつ成長の道をたどっていくものではないでしょうか。
小学生も高学年ともなれば、身体や運動・知的な育ちとともに行動範囲が広がり、身近な環境に自ら進んで関わりを持つようになります。伸びてきた能力を失敗にもめげず、積極的に使おうとします。自分の自由な意志で、ものごとを選び、決め、行い、そして自己評価をしていくのです。このことで、言いしれぬ自信を体験することができ、次の行動力を誘発することにもなります。
とかく大人は「転ばぬ先の杖」とばかりに、子どもが体験する前に、感じ取る前に注意を与えてしまうことが多くあります。本当に子どもの立場を考えるということは、子どもの活動的な行動を温かく見守ることではないでしょうか。じっと様子を眺め、ある時には励まし、ある時は共に悲しみ、喜び合って、子ども自身に感じ取らせることだと思うのです。人間何かに打ち込んでいる姿ほど、素晴らしいものはないような気がします。
