資源の少ない日本の未来にとって、ただ知識や技術が高いだけでなく、人間としての道徳心のある人材の育成こそもっとも大切なことだと思われます。
歴史的に考えれば、日本は大陸から技術や文化を取り入れ、それをそのまま受け入れるのではなく、日本人がそれまで培ってきた価値観や美意識というフィルターを通しながら日本独特のかな文字などの文化や地域に根ざした産業を長年にわたって築き上げてきました。
ところが戦後の日本は、欧米諸国の言いなりになり、それまで伝承してきた文化や価値観を否定し、欧米の技術や文化・習慣までもそのまま鵜呑みにして導入し、日本人の持つ価値観や美意識というフィルターを通すことをしませんでした。
かってのような日本化して内容を高めるという行為が欠落してしまったのです。先進国と言われる国に学んで追いつくことがなによりも優先され、この間思考する創造するという行為は完全に忘れられ、ただ経済成長のみをめざして活動していたのです。日本の教育は、短期間に問題の解き方を学び答えを出す方法を身につけさせてきました。効率的にマニュアル化された工場労働者の育成に力を注いでいたのではないでしょうか。ものごとを思考する、創造するという教え方をしていなかったように思います。
これからは自分が主体的であるという意識が持てるように指導することが大切です。十人いれば十人が違う才能や能力を持っています。この当たり前のことにもう一度目を向けることが大切です。
禅の言葉に「平等即不平等」があります。学校では子ども達に平等という錦の旗のもとに子ども一人ひとりの個性を認めません。子ども達には得意、不得意があり、得意をしっかり伸ばすことで不得意を少しカバーするようにできないものでしょうか。
人生は刻一刻と変化します。常に変化をしている周囲の状況の中で、どの道を進んでいくのか、目まぐるしく迫られる選択の波をどう乗り越えていくのか、自らの心に問いかけ、進むべき道を決断していくために、自らの意志、志を持つことが大切です。未来を信じ、未来のために今の自分にできることをするのです。それが、人間の命をつなぎ、心をつなぐことになるのです。