今までの学校では児童生徒に対して行う学習指導力、生徒指導力をより向上させれば、理想とする教師像に近づけていました。ところが現在では、それに保護者等対応力を身につけなければ、クレーマーと呼ばれる親との人間関係をきちんと築けなくなくなってきています。
先輩達は、昔はよかったと懐かしがられます。「仰げば尊し」の歌にあるように教師は尊敬の対象でした。ところが戦後の教育の有り様の変化に伴い、教師自らがその座を投げ出した感があります。労働者としての要求を強く出し労働運動に走りすぎた時期があり、それが結果として保護者の信頼を失うことにつながったのではないでしょうか。同時に学校も地域の教育力の継続に力を注ぎませんでした。当たり前のことが当たり前にできるように地域教育力を親から次の世代に伝承する機会をつくることが少なくなりました。ゆとり教育によって学校の教育活動から切り離し、地域のことは地域で行うように舵を切りましたが、担い手のいない地域ではめんどくさいと止めてしまったのです。地域共同体としての意識を持つ場が失われてしまったのです。
きちんと情報を確認せずにすぐ担任や学校に親が自分の言い分だけを伝えるようになったのです。保護者同士が考えを深める場も少なくなっています。他人のことにはあまり関わらない傾向にあるのです。公園でいっしょに遊んでいる我が子の友人がどこの家の子かわからないし、親の顔も知らないのではないでしょうか。
担任が行っている人を育てる仕事には答えがないのです。人を信頼することが出発点になるのです。親と教師は互いに情報発信する機会を設けることが大切なのです。教育活動とは自分が考えた仮説が目の前の事実によって裏切られることを楽しむ営みなのだと考えて、日々努力するのです。仮設と現実のずれを新しい問いとして受け止め、事実追求に向けて這い上がる気構えを持つことがこれから成長していく教師には必要なことなのです。