風の館からの便り(つれづれなるままに) No.267
                                                                           
   2013年12月15日(日)
    脳を創る

 人間は生まれながらにしていろいろな能力の可能性を持っています。この可能性を高めるには、あらゆる教科の学習において本を読んで理解することが基本となります。この過程で脳が創られるのであり、読書を通して言葉の意味を補う想像力が高められます。行間に込められた想いを想像しながら読む能力が鍛えられるのです。
 また、思索に耽ることで、自分の言葉で考える力が゙身についてくるのです。そして読書経験を通して脳が変化し、成長するのです。
 ところがIT化の導入で電子書籍や映像が多く扱われるようになり、情報過多で能動的な思考の機会を奪う可能性があるのです。映像を見ていれば結果が現れ、考えなくても済むようになってしまいます。次々と新しい情報が目の前の画面に現れるようでは、次の展開を予想する暇すらないのではないでしょうか。一枚の資料をじっくり眺め、思考させ、隠れた意味を予想し想像させた方が人間の脳を活性化することにはならないでしょうか。
 小・中学生のうちに空想の時間を持つことなく知識ばかりを詰め込んでいると、大人になっても創造的な発想は生まれないかもしれません。科学の出発点は、もし考えたことが本当にできるとしたらどうなるだろうと思考することではないでしょうか。考える前に便利な道具で検索し調べるようなことを繰り返す空想に必要な時間を奪うテレビ、ケータイ、ネットなどのメディアはできるだけ遠ざけるに限ります。学問の価値は、効率にはありません。


   2013年12月16日(月)
    教育が経済の手段になっていないのか


 教育基本法第一条「教育の目的」が「人格の完成」にあるとしましたが、その内容を具現化した学校教育になっているか、立ち止まって振り返ってみてください。
 教科書に書かれていることだけを教えるのではなく、その学習を通してどんな人格形成につながるのか考えられているのでしょうか。目に見える知識の理解度と学習活動を通して身につけてほしい人格についての指導目標を意識して学習展開を考えてほしいものです。
 経済活動の担い手としての基礎能力は身につけてほしいですが、今のようなマニュアル化された多くの会社経営では、人が部品のように処遇されているようで何かやりきれなさを感じます。意欲があり、やる者はやれと言われなくてもやるし、やらない者はやれと言ってもしないのではないでしょうか。
 マニュアル化された作業で、人為的ミスが起きるのはなぜでしょうか。それは、担当している人が書かれていることでどうするのかに基づいてやっているので、指示されたこと以外は気にもとめないからです。どうしてそんなことをするのか本人がしっかり考え抜き、理解した上でやれば、健康上の理由を除き、ほとんど防げるのではないかと考えています。