風の館からの便り(つれづれなるままに) No.239
                                                                           
  2013年2月11日(月)
     子どもの頃から筆と墨を


 文章はパソコン、手紙はケイタイ、スマートフォンのご時世になっていると言っていいのではないでしょうか。若い人はうまく適応されているようですが、年配者にとってはなかなか対応できるものではありません。近い将来、「君は字を手できちんと書けますか。」と聞くような時代が来はしないかと心配しています。
 「書」が生まれた動機は、白い紙の上に自在に線を引く喜びでした。筆と墨と紙の発達によって、スピードを、そして入れる力と向きを変えながら、自分の好きな線を引けるようになってきました。その喜びはいかほどのものか、大きな紙に思いっきり書くことを想像してみればお分かりいただけると思います。この感覚が、パソコンやケイタイで失われつつあるのです。
 「身心一如」というように体と心が一体であるという考えは、昔から言われてきました。筆はコントロールが微妙で、筆圧を変え、穂先をコントロールして自由な線を引くことで、手先の器用さを鍛えられます。また、姿勢がよくないとうまく書けないし、その時集中するのが「気」なのです。心と手の動きが表現に表れるという「書は人なり」と言われるゆえんなのです。
 

   2013年2月12日(火)
    しつけは赤ちゃんから(その2)


 赤ちゃん時代には、考えるという行為が大切です。赤ちゃん時代というより脳の活性する時期に何も考えずに、大きくなった子とよく考えて大きくなった子とでは当然脳のでき方が違うのです。赤ちゃん時代によく考えた子は、大きくなっても何事もよく考えるようになります。そうしてしつけてもらった子は怒られた時に「何がいけなかったんだろうか」と素直に考えるようになります。
 何が悪かったのかをよく考えることが本当の反省です。ごめんなさいと謝ることが本当の反省ではありません。その反面、考える癖のついていない子は人格を否定されたように感じて何が悪いのか考えようともしないのです。そして先生が怖いからとか先生がうるさいから親がうるさいからとか「ごめんなさい」と謝ればいいと思っています。これは反省でも何でもありません!
 なぜしつけが脳の働きをよくするかというと、褒められた時と叱られた時に脳の中で違いが生じ、判断する脳ができ、判断力もつき、本当の意味の反省ができるのです。小さい時にしつけられていない子は判断力もない上に、謝ることはしても本当の反省はしません。自分で考える作業をしないので何が悪いかも判断できずに、いつもどうして自分ばっかり怒られるんだろうと勘違いばかりして本当の反省をしないのです。
 本当の反省のできる子にしてあげましょう。