風の館からの便り(つれづれなるままに) No.227
                                                                           
  2012年9月23日(日)

       論語より(その26)

 「子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣」

 「しいわく じんとおからんや われじんをほっすれば ここにじんいたる。」

 親子でいっしょに声に出して読んでみましょう。覚えたら、それから意味を説き聞かせていけばいいのです。手っ取り早くするのではなく、やり遂げる苦労の中で感覚が身についてくるのです。

 意味は「思いやるの心を持つのは難しいことではないよ。相手が今どんなことに困っているのか想像してみればいいのです。そうすれば、自分が何をしてあげたらいいかがわかるでしょう。あとは、それを実行に移すことだけだよ。」

 アメリカの作家ウエブスターの小説「あしながおじさん」は少女ジュディの成長の様子を描いた名作です。孤児院で暮らすジュディのために、ある紳士が大学に通う学費を出してくれることになりました。ただし、その人の名前を聞かないことが条件で、彼女は紳士を「あしながおじさん」とよぶことにしました。つらいことがあってもがんばるジュディとあしながおじさんとの心の交流は、感動を覚え世代を越えて読み継がれています。
 

   2012年9月24日(月)
    稼ぎと勤め


 日々個人の利益を得るための仕事を稼ぎ、人や世の中のためになる仕事を勤めとし、勤めは誇りや生きがいという充実感を持つことができます。
 昔は、百姓であれ、職人であれ、仕事をすれば、それが稼ぎとなるとともに勤めでもありました。ところが資本主義的な市場経済社会になってくると、意識しなければ稼ぎだけに陥ってしまうことになってしまいます。
 会社のために利益を求めるだけの行動では、充実感を持つことができないのではないでしょうか。自分の仕事にやりがいや世の中のために役立っているという生きがいを感じることができれば充実感を持つことができるのですが、効率・能率の名のもとに、せき立てられながら労働していたのでは、自分の有用感を自覚することもできずに時間を過ごすことになってしまいます。
 稼ぎに追われ、我が子さえほったらかしにするような経済システムは、すぐ改善されなければいけないと思います。小泉首相時、言われたグローバル化と民営化によって、一見経済効率はよくなったような錯覚をした人もいるかもしれませんが、中山間地で暮らす人や年金暮らしの人は、競争原理の働かない枠の外で生活している人たちを置き去りにしていたのです。
 敗者と言われればそれまでのことですが、郵便局が全国つつうらうらにあることで高齢者の方は安心して生活ができていたのです。時たま来る孫からの便りを楽しみにしていたし、貯金を取り崩しながら細々と生活していたものが、民営化の名のもと、だんだん利用者の少ない郵便局から廃止されています。安心した老後が過ごせるように、改善されることを望みます。