「子曰 有教無類」
「しいわく、おしえありて るいなし。」
親子でいっしょに声に出して読んでみましょう。覚えたら、それから意味を説き聞かせていけばいいのです。手っ取り早くするのではなく、やり遂げる苦労の中で感覚が身についてくるのです。
意味は「人間の性格は、教育によって決まります。よい教育を受けていれば、よい人物になるし、教えてくれる人がいなければ、よいことと悪いことの区別ができず、悪人になってしまうこともあります。周りの人がどう教え導くか、その人がどれだけ努力するかによって性格は形づくられるものです。生まれつきがよかったり悪かったりするわけではありません。」
生まれたばかりの赤ちゃんが、2,3年もたつと言葉を話せたり、道具を使えたりするようになるのは、親や兄弟のすることを見て覚えていくからなのです。でも、いいことと悪いことの区別はつかないから、その子の周りの人が寝転んでテレビを見ていればそれをまねするし、夜更かしをしていればやがてその子も夜更かしをするようになるのです。周りの人は、人生のモデルになっているんだと自覚し、すてきなところを見せてあげましょう。
日本は経済大国にはなったが、物質文明先行の醜さが染み着いてしまったような気がするのですがどうなのでしょうか。以前、日本には儒教的モラルというものがあり、分かりやすいかたちで、青少年の訓育がなされていたと思われます。
まず、「五徳」という五つの徳目がありました。「温、良、恭、検、譲」これらは読んで字のごとく、こういう人格を備えねばならぬということは分かっていたのです。が今はどうなのでしょうか。子ども達が目にし、考える機会があるのでしょうか。
一方、「五常」という五つの常識もありました。「仁、義、礼、知、信」です。これらのモラルは大人社会の変貌とともに消失しつつあるのではないかと心配しています。就職できない若者の姿は、礼儀正しく、知性に富み、約束ごとは守るという会社にとって求められる資質を十分身につけていると理解されないためではないでしょうか。私が心配するのはそれ以上に「仁」と「義」の精神が消えようとしていることです。「仁」は他者に対する思いやりやいたわりの心です。今日では「福祉」、「ボランティア」とでも言うのでしょうか。「義」は人の正道です。ところが法治国家の名のもとに、おかしなことをしても法に触れなければ悪くないのです。孟子の言葉に「仁は人の心なり」「義は人の道なり」と説いています。子どものモデルとなるべき大人の姿を今一度考えてみることも必要なのではないでしょうか。