風の館からの便り(つれづれなるままに) No.225
                                                                           
  2012年9月10日(月)
        久しぶりに便りの画面に向き合っています。パソコンを落っことし、システムが壊れたようなので中のデータを復旧してもらっていました。長い時間がかかりましたが、ほぼ元通りになりました。とてもうれしかったです。
 よいモデルになる大人


 論語に「性相近き也。習相遠き也」とあります。この言葉は、人は仁や徳など善の本性を持って生まれます。しかし成長するに従い、繰り返し接する周りの大人たちの言動や環境によって影響を受け、その人の気質や感性は相当違ったものになると解釈されます。
 習は繰り返すことで身につけるという意味です。
 ある高校生を対象とした調査で、好んでテレビのおふざけバラエティ番組を視聴し、そこに出演する人たちの羽目を外した言動をよく見ている生徒は、概ねだらしない服装で自分勝手に振る舞い、礼儀作法がなっていない、言葉使いもよろしくないという傾向があることが報告されています。
 周りの大人たちから影響を受けて、欲張り、見栄っ張り、意地悪などマイナスと思われる気質や感性を身につけ、それを自分が日常的に外に表すようになり、もともと持っていた素直な心が発揮されにくくなるのではないでしょうか。今必要なのは、一人でも多くの「よいモデルとなる大人」が子ども達の周りにいることなのです。

   2012年9月11日(火)
    社会教育の大切さ


 我が郷土の子ども達や若者が健全に成長するために、教育がなされています。
教育基本法が新たに制定され、家庭や地域の教育が重視されたと考えていました。ところが現実は国も地方教育団体も社会教育への力のいれ方が人的・財政的な両面からも低下していると言わざるを得ません。学校教育の重要さは誰でも認めるところですが、教育を巡るマスコミの報道や文部科学省の広報等を見ると、教育イコール学校教育ととらえられているようで、気がかりでなりません。教育の成果を上げる基盤は、家庭や地域社会の教育ではないでしょうか。この点に力を入れていくこと、言うなれば社会教育にどれだけ力を入れるかではないでしょうか。
 今、社会は子どもや若者に生きる力やコミュニケーション力を伸ばし、高めることを求めています。これらが学校教育だけに依存していてはできないことは明らかです。大人が目の前の子ども達に関わる活動を始めることで少しは変化が生まれるのではないでしょうか。