風の館からの便り(つれづれなるままに) No.217
                                                                           
  2012年5月7日(月)
         
見えないものを感じる大人に


 毎日の生活の中で、子どもたちは我々大人にいっぱいメッセージを発していると思います。そのメッセージの中で、どれだけ受け止めることができているのでしょうか。
 声が小さい、食べるのが遅い、話を聞いていない等、気になる行動の中で「なおしなさい。」と言うだけで、その子の心の課題を解決することができるのでしょうか。ややもすると、目に見えることだけに気をとられ、その子の心を考えていないことがあるのではないでしょうか。
 気になることを、親と家族と担任が共有できるようになれば、子どもの心も少しはほっとすることにつながると思われます。共有するためには、お互いが情報をしっかりやりとりすることが必要なのです。気になること、おやと思うことをすぐに知らせ合うことが出発点になるのです。
 教育とは、「教える」のではなく、学ぶきっかけを与える行為ととらえた方がいいのではないでしょうか。子どもたちの困り感をしっかり感じ取り、あきらめないという粘り強さを持って働きかけ続ければ、それがモデルとなって課題を乗り越えることができるのではないでしょうか。
 

   2012年5月8日(火)
    最近の青少年に思うこと

 将来への夢が描けない、勤労への意欲が低い、自ら進んで人と交流することができない等、青少年のいろいろな課題が取り上げられ、問題解決の取り組みがなされていますが、根本の部分への働きかけがされていないのではないかと危惧しています。

 行動面や表面的なとらえ方で見ると、以前のような社会常識が身についていないと言われます。今の青少年は、教えられたり学習したりする経験の機会がなかったと見る方が妥当だと考えます。
 大人が子どもに自分の背中を見せることができにくくなっています。働き方が大きく変化しています。家族や近所の人たちが協力し合って作業していたものが、会社で働き、家庭は休む場所になっています。働いている大人の姿を見ることができなくなってしまっているのです。
 そのような社会状況の中で、どう大人が子ども達に関わっていけばいいのでしょうか。地域での活動や伝統文化伝承の活動に参加させることで、大人の今の姿を見ることができるのではないでしょうか。
 ところが多くの場合、めんどくさい、わずらわしいという気持ちからか、大人でさえ地域での作業や活動にあまり参加していないのではないでしょうか。これらの大人への働きかけをせずして、他のどんな方策をとってみても、子どもの見ている大人の姿がモデルとなっているのです。
 汗を流して働くのがあたり前、人の喜ぶ顔が見たくて仕事をしたり活動したりするのがあたり前という感覚を大人が取り戻すことなくして、子どもの姿を健全化できないのではないかと考えています。