風の館からの便り(つれづれなるままに) No.215
                                                                           
  2012年4月27日(金)
         
論語より(その21)

  「子曰 父在観其志、父没観其行、三年無改於父之道、可謂孝矣」

 「しいわく、ちちいませばそのこころざしをみ、ちちぼっすればそのおこないをみる。 さんねん、ちちのみちをあらたむることなきは、こうというべし。」

 親子でいっしょに声に出して読んでみましょう。覚えたら、それから意味を説き聞かせていけばいいのです。手っ取り早くするのではなく、やり遂げる苦労の中で感覚が身についてくるのです。
 意味は「親はいつでも家族のためを思っています。親が生きているなら、その気持ちを考えてみましょう。親が亡くなった後は、そのやり方を思い出してみましょう。そして、3年くらいは親のやり方を習ってやってみると、親は喜んでくれると思うよ。」

 町の商店街には、「老舗」といわれる何十年も代々続いているお店があります。そうした料理店やお菓子屋の主人は、大切な味を守るために、つくり方を若い人に語り伝えています。ただ、ずっと古いままではなく、時代に合うようにいつも工夫と努力をやり続けています。伝統を守りながら、新しいものを取り入れていく。それがいつまでも人をひきつけ、愛される秘訣なのかもしれません。

   2012年4月28日(土)
    三つ子の魂 百までも(その2)


 子どもの成長にとって、3歳までの大人の関わり方がとても大切になります。子どもがこの家の子どもに生まれてきてよかったと思えるような家庭づくりをすることが、我々親に求められているのです。
 1歳半から3歳ぐらいの期間を、肛門期といいます。これは、自分の意志でお尻の穴を開けたり閉めたりできるようになるからです。排泄の習慣をつけることができるようになるのです。あわせて自我を主張し始める時期とも重なります。この頃から子どもが親の言うことを聞かなくなったと腹を立てたり、ほったらかしにする親がいますが、子どもは成長しているのです。親の都合に振り回されるより健全な成長をしているのです。
 テレビや新聞をにぎわす多くの事象で感じるのは、親でありながら母や父になれない親、子どもの成長を喜べない親の姿に子どもの将来を心配します。自分勝手な都合で、好き勝手にできると思い込んで行動している姿を見て悲しくなります。こうするのだよと誰からも教えられなかったのでしょうか。
 子育てにはいろいろなことがあるけれど、家庭って楽しい、家族っていいものだと教えられていると、何とか乗り切れるものです。多くの場合、叱らない関係で日常生活を過ごしていますが、果たしていいのでしょうか。見ても見ぬ振り、口にチャックをして知らん顔をしていてもいいのですが、気がついた人が教えてあげるという人とのつながりをつくり上げることが何より大切なことです。「人の世話はできる時にさせていただきなさい。人間、死ぬ時は誰かの世話になるんだから。」と父から言われ続けていました。核家族化が進む中でも、祖父母から話を聞く機会を可能な限り多くつくるのです。それが子育ての大きな知恵になるのです。