夢を持つこと、志を高く掲げて学習に取り組むことができれば、最高の喜びです。人間、願うことは必ず実現すると信じて、今から取り組むのです。「あとで」はしないと同じことなのです。子どもにとって困難と思われることに出合った時、どう行動しているのでしょうか。避けて通るか、立ち止まってしまうか、人がやってくれるのを待っているか、さて、あなたの目の前の子どもの姿はどれなのでしょうか。「そんなことないで、うちの子は、できんなりに何とかやろうとしているで。」こう答えていただける保護者の方であれば、その子は困難なことに立ち向かっているのです。
また、短い「ことば」の中に人間の心を表現する詩、「ことば」を大切にしてほしいと思います。受け継がれてきた素晴らしい表現があるにもかかわらず、気持ちを伝える「ことば」選びができていません。やたらと短縮し、仲間内だけで通用することばが氾濫しているように感じるのですが、年寄りの冷や水でしょうか。表現がうまく身につかないのは、何が不足しているのでしょうか。
次に、人生のモデルとなる師との出会いを感じている子は幸せですね。「ああなりたい」と願ってがんばれるので、学習にも身が入ります。できるようになろうとする気持ちは、どの子も持っています。ただ、どうすればできるようになるか、その体験と知恵を身につけていないのではないでしょうか。その点、目の前にモデルが存在すれば、まねをすればどんどん自分が変化していることを実感できます。その変化を自分で喜ぶこともできるようになります。
小学校に入学しても歴史の学習はせず、日本の歴史を学習するようになるには5年先に先送りされています。学習し理解できないのではなく、学習することを避けているように思うのですが本当の意図はどこにあるのでしょうか。
学校は学力をつければよいというわけではありません。人間を育てるところであると思うのですが、今は少しおろそかにされているように思います。
今の学校は、過程より先に結果が求められているのではありませんか。その結果を出すために、先生方はやっきになって取り組んでおられます。結果は、本来現在という過程が行き着く先であると思うのですが、そんなのんびりした感覚ではいけないのでしょうか。
教育とは、金に換算できない愛情の一種であるといわれています。自分の人生をつくろう、学ぼうという子ども本人の強い意思と努力、師と弟子との人間的な信頼関係の上に成り立つものではないでしょうか。教師は労働者というより尊敬を集める師であると自覚してほしいものです。自己研鑽に励み、子どもや保護者、地域の人から師として尊敬されるように努力を積み重ねていくようにしましょう。
そして、子どもが小学校に入学したら、しっかり日本の歴史が指導できるようにいろいろな文献にあたり、自信を持ってそれぞれの学年で理解できる内容、人物を紹介しながら学習が深まるように取り組んでみてください。
また、家庭教育で日常の作法を子どもに教えられるように大人は年長者から見聞きする機会をつくることが求められているのです。立つ、座る、歩く、食事をする、これらの美しい所作、基本的な動作について、あなたはきちんと子どもに向かって話ができますか。不安な人は、近くに居られる年長者の人から話をしっかり聞くようにしましょう。
