年 月 日 | 昭 和 教 育 会 の 沿 革 |
明治5年 (1872年) | 学制の発布、国民誰もが小学校教育を受けることになった。 |
明治19年 (1886年) | 学校令を公布、小学校4ヶ年を義務教育と定める。畑簡易小学校を創設、河本分校を置く。 |
明治22年 (1889年) | 明治憲法の制定、日本が近代国家として歩む上で大きな力となる憲法制定と前後して、市制、町村制など地方自治の仕組みも整った。また法律の整備も行われる。 |
明治23年4月 (1890年) |
佐治村が口佐治(旧1校区)、中佐治(旧2校区)、上佐治(旧3・4校区)の3村として発足する。 河本分校を廃校し、上佐治小学校と改称する。 |
明治23年11月 | 教育勅語の公布 |
昭和教育会発会当時の社会情勢 | |
明治29年 (1896年) | 当時の日本は憲法の公布、法律の制定等を始め近代国家としての礎は地方にも及び、すべての面で急速に諸制度は強行され、地方自治体も貧弱な財源のもとで窮乏の極みであった。国は軍備増強を始めとして、増税を強行し国家財政の引き締め等に起因する社会不安、不景気を生じ、当時地方においては、土地や家を失う農民が続出し各地において惨状が続出する社会情勢であった。 上佐治村においても例外でなかった。特に学校新築負担、教師の給与は多額の財源を要し、あらゆる面で財政支出は増大し、その財源は地元の人たちの租税で賄われていたため、将来を憂うあげく当時の有志相計り殖産の道を選び、植林事業を実施したのが事の始まりであった。まず、大水の恩谷山と尾際に99年の地上権を設定し杉の植林を行った。当時の村長は岡村重太郎氏、前村長、荒武鹿蔵氏であった。 |
明治43年 (1910年) | 口佐治(旧1校区)、中佐治(旧2校区)、上佐治(旧3・4 校区)の3村が合併して旧佐治村が誕生した。合併時点で植林地は残す。 |
大正5年 (1916年) | 大正教育会発足。 当時、鳥取県に大正教育会という会があったので、その名をとって大正教育会と称する。 |
大正8年 (1919年) | 加茂、村上藤七の持ち山、通称(イナンバー杉山)を取得する。 |
昭和3年11月20日 (1928年) |
尾際山、造林地、恩谷山(イナンバー山)を財産として法人登記申請をする。 |
昭和7年5月25日 (1932年) |
昭和教育会の設立 財団法人昭和教育会として役職認可を得る。設立当時の理事長、岡村重太郎、理事、田中市蔵、福安栄次郎、西村銀三、谷上勇雄、監事、荒武鹿蔵、伊縫甘吾、岡村福十郎。当時の会長は、県庁から各部落、佐治村有志等に設立のため90回以上にのぼる出張会議を重ねている記録が残っている。特に岡村重太郎、荒武鹿蔵、両氏の努力は絶大であって忘れることは出来ない。 |
昭和12年 (1937年) | 小学校へラジオ受信装置寄付 |
昭和14年 (1939年) | 奉安殿建設(建設費4,569円)この財源は大水山(小谷尻)の杉山間伐代金1,000円をあてる。学校門柱建設 |
昭和15年(1940年) | 尾際共和組合へ1,500円補助、財源は尾際山の杉の立木を3,680円で売却し、その内で補助残地に杉の植林。 |
昭和19年(1944年) | 尾際山の一部、金5,000円相当で佐治村森林組合へ売却 |
昭和20年(1945年) | 恩谷頭(小尻谷)の立木を8,800円で佐治村森林組合へ売却する。但し森林組合が伐採うちに終戦となり、金10,000円也森林組合に返金して契約解除し、買い戻し契約成立した。この代金返済のために恩谷頭の間伐を行い谷上栄氏に12,000円で売却する。 岡村重太郎氏死亡、役員通算19年尽力。 |
昭和21年8月5日 (1946年) |
マッカーサー指令により奉安殿の除去命令があり、処理委員会を置く。イナンバー杉の間伐2,160円で売却しこれにあてる。 |
昭和22年(1947年) | 佐治第三小学校(現B&G海洋センター)の敷地の一部を佐治村に寄付する。恩谷頭の山林立木を売却する。320,000円也、佐治村森林組合、用瀬木材KK。 佐治第三小学校修繕費として、本校5,500円、分校7,500円寄付、財源として上紙猪太郎氏へイナンバー杉の立木を28,600円で売却する。(※分校は尾際にあった後の佐治第四小学校) |
昭和23年(1948年) | 小田診療所設立。(佐治町加茂の小田地区)無医村だった佐治村に住民医療のため、井上武医師(後に用瀬町へ移転し井上医院開業)を招聘し山村医療の魅となる。建築費85,000円外、寄付人夫12,000円、財源として恩谷山売却320,000円、佐治村森林組合、用瀬材木KK。 |
昭和24年(1949年) | 佐治村大字加茂字扶桑谷2,914番地、山林6畝17歩外、4筆9反22歩、藤原貞子より12,000円で購入。6筆で8反9畝、未登記2筆約2反との竹本逸雄氏の記録もあり、山本勇夫氏の記録には、1町1反という記録もあり、同植林する。恩谷頭代地杉山(田中分)を買い受ける。 |
昭和25年(1950年) | 細尾扶桑谷山を買い入れる。 |
昭和27年1月 (1952年) | 大水部落より恩谷頭1,422番地、山林1町歩の地上権解除の申請あり、昭和26年定期総会の議決により契約解除する。(昭和52年までのところ)理由は役員就退任の登記不備による抹消登記の複雑困難のため。 |
昭和27年8月23日 (1952年) | 旧第4校区会員全員脱退する。尾際大平山杉山(未登記)4反15歩全部並びに現金10万円也贈与する。 |
昭和27年(1952年) | 佐治第三小学校へステージ幕を寄付 |
昭和28年(1953年) | イナンバー杉山間伐(2円35銭)14,8000円、佐治村森林組合へ売却 |
昭和29年(1954年) | 木合谷3部落共有地の一部(約4町歩)に分収造林契約を締結する。期間は昭和29年9月より昭和89年9月までの存続期間で10項目を定め、分収率は昭和教育会100分の60、土地所有者100分の40とする。福園、木合谷東平古屋敷303番地、小学校PTA事業として教育会助成のもとで始める。存続期間は昭和29年9月より昭和89年9月まで |
昭和31年9月18日 (1956年) |
イナンバー杉の立木97本、三宅林業KKに売却(代金243,068円) イナンバー杉山の立木調査、元木11円84銭 297本。 |
昭和33年10月15日 (1958年) | 細尾共有地の一部(字扶桑谷2917、山林8畝17歩)買い受ける。代金5,000円(細尾水道設備のため) |
昭和34年(1959年) | 細尾共有地のうち谷上寿昌分を買い受ける。代金68,000円 扶桑谷3913 1,067u 2反1畝(竹本記録) 扶桑谷 917 833u 1反8畝(未登記で現在登記に着手) 佐治第三小学校へテープレコーダー寄付。 |
昭和35年(1960年) | 第3保育所新築にあたり、金40万円佐治村へ寄付。 第3保育所新築にあたり、関係する土地、岡村清文の土地(4畝1歩)買い受ける。 (代金125,000円)。昭和41年小学校校庭拡張のため255,000円で売却。 井上医院加茂診療所を佐治村へ寄贈する。330,000円もらう。 |
昭和36年(1961年) | 佐治第三小学校へ国旗掲揚台を寄贈する。 |
加茂字郷原の下1,297番地、宅地131坪、佐治村に売り渡す。(代金130,000円) | |
昭和38年(1963年) | 佐治第三小学校へ遊戯施設を寄付する。 |
昭和39年3月13日 (1964年) | 加茂字神殿13筆(1町7反2畝2歩)とイナンバー山林1反8畝並びに立木(杉)297本、元木11円84銭と交換する三宅章氏より買い受ける。 |
3月17日 (1964年) | 細尾字扶桑谷間伐杉の立木224本、元木1円80銭を三宅林業KKに売却、200万円小学校校庭拡張資金として |
昭和41年7月11日 (1966年) | 加茂字郷原の下1,290番地、畑(4畝8歩)同字宮の腰1,267の1(4畝7歩)を佐治村へ売却する。255,000円 |
昭和42年2月27日 (1967年) | 加茂字扶桑谷2913番地、杉の立木160本を鳥取市田島木材業、藤原金幸氏へ売却する。代金628,000円 |
佐治第三小学校90周年記念事業に対し多額の寄付を行う。 | |
昭和43年1月 5日 (1968年) |
佐治第三小学校拡張のため、加茂郷原の下1298番地、安部藤吉外4名の土地2反1畝28歩、及び宮の腰3筆、郷原の下2筆の5筆買い受ける。982,796円 |
3月31日 | 上記の土地を佐治村へ売り渡す。代金658,000円 |
昭和44年(1969年) | 木合谷分収造林契約の一切の権限を小学校PTAより昭和教育会へ移管する。(15年目) |
昭和50年(1975年) | 細尾扶桑谷2914〜2915、杉の立木45年生217本、代金200万円也で佐治村森林組合に売却する。 |
昭和51年7月19日 (1976年) | 加茂恩谷杉の立木30年生410本、間伐代金450,000円佐治村森林組合へ売却。 |
@大字加茂字扶桑谷2917番地、保安林1,047uを細尾部落より8,000円で買い受ける。 A同じく扶桑谷2913番地、保安林1,047uを細尾部落より60,000円で買い受ける。昭和51年5月14日登記済。 |
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昭和52年3月 (1977年) | 佐治第三小学校創立100周年記念事業に対し30万円寄贈、記念誌(啓明) |
昭和55年4月11日 (1980年) | 佐治村の所有する多目的集会場、西佐治会館の管理委託契約をする。 |
平成4年 (1992年) | 神殿山の立木調査、神殿991外12筆(9畝8歩) |
平成7年 (1995年) | 神殿間伐手入れ(八頭森林組合へ委託) |
平成16年4月 (1995年) | 前理事長竹本勘二郎氏から造林管理費用として50万円寄付。 |
平成17年7月18日 (2005年) | 細尾扶桑谷の間伐作業15名参加。2名ケガ。 |
平成18年(2006年) | 鳥取市の財政改革により、西佐治会館の管理委託が市の直営管理となる。 6/21−細尾扶桑谷の境界確認。 7/ 9−木合谷分収造林の境界確認。理事、評議員 細尾扶桑谷の間伐作業を八頭森林組合へ委託。 |
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