西医体遠征記

医二 平野裕司

 昭和63年度の西医体は三重大会テニスコート、三重西高等学校テニスコート等で行なわれた。今年の遠征の特徴として大変雨に恵まれていたのだが、この西医体も例外でなく、よく雨が降った。それ以上に我々を悩ませたのば総勢6名だということだった。5ペアの点取りの試合に6人で行くため、かなりの苦戦は誰の目にも明らかであったが、山本英男さんは、「必ず勝つ」と常にみんなを励ましていた。しかし、6人であるため団券がくめず、三重まで車で行った。びゅんびゅんとばして三重まで行き、いざ旅館につくと、みんなア然とした。それぐらいすごい旅館だったのである。旅館の話はさておき、”勝つぞ”と意気込んで試合に臨んだ。

 予選グループ最初の相手は長崎大学であった。今年のグループには、広島大学、京都府立医科大学、愛媛大学、長崎大学、それに、我々鳥取大学であった。まず一番目に山本・山本組が出た。山本・山本組はかなり苦戦したとは言わないが、余りいい雰囲気で勝たなかった。二番目に大槻・渡辺組が出て、なんなく勝った。そしていよいよ最後に我々橋本・平野組が出た。試合前半は、相手のあせり?からくる自滅と橋本さんのロブでつなげる?テニスが冴え、3-1とリードした。しかしここから勝ちを意識した二人が勝手に自滅し、弱気になって逆転負けを喫してしまった。

 初日は雨のためこの試合だけだったが、雰囲気的にかなり悪くなってしまい、雨で試合が流れたりしたが、結局京都府立医大、愛媛大に2-3で敗れ、広島大学には1-4で敗れ、予選グループ全敗で、最下位となってしまった。

 この予想外の?敗戦と、みんなに試合に対する嫌悪感、そして山本康隆さんの体の不調などが重なり、結局個人戦は、全員棄権をした。後から思えば、この棄権はやはりまずかった。

 結局、一昨年の二の舞になってしまい、かなり悔しく思うと同時に、自分の精神的な弱さが悲しかった。来年こそはたくさん部員を入れ、自分も一生懸命練習して何とか勝っていきたい。