中選大会遠征記

教三 岩尾圭子

 第三十六回中国学生軟式庭球大会は、昭和六十一年八月二十七、二十八、二十九日、山口大学と維新公園テニスコートで開催された。今シーズンは個人戦のできなかった三地区以来、大会ごとに必ず雨が降るという悪天候に見舞われており、今回の中選でも何かあるぞと思いながら臨んだ大会であった。

 山口入りしてみると、今回の敵は“風”であった。強風はテニスにはつきものであり、決して珍しいことではないが、今回の風はただものではなかった。テニスコートは激しい砂ぼこりで前が見えなくなり、からだを容赦なく砂が叩き、テニスどころか立っていることさえも苦痛であった。あまりの強風に、二日目の午後は試合が中止された程であった。そんな中での中選、私たち鳥大にはまた別の厳しい風が吹き荒れた大会でもあった。ここで、この遠征記を女子の部中心で書かせて頂くことをお断りしておきたい。

 今春、新入部員獲得に失敗した私達は、四年生二人、三年生二人、二年生一人のわずか五人でチーム編成をしなければならなかった。

 三地区はニペアの先滅ということもあり、前年からのAチームのメンバーでラッキーにもベスト4に勝ち上がることができた。しかし、リーグ、五大学と三ペアのチーム編成が要求される大会では、どうやってチームを作るか、まずそのことに頭を悩ませた。

 リーグは点取りということもあり、にわか部員を一人起用したものの井上さんの教育実習直前ということも重なって、結局チームをまとめていくことが出来なかった私はずるずると負け続け、ついに二部落ちの結果を生んでしまった。その直後に加藤さんが休部し、五大学ではペアを変更してみたが、一ペアを欠いたチームではやはり苦しい大会になった。

 男子の方も層の薄さで自滅していくパターンでシーズンが進んでいき、クラブの状態は決して良くなかった。

 そして夏休みが明け、いよいよ本格的に真夏の練習が始まった。加藤さんが復帰し、まだぎこちなさは残るものの、とりあえずは安堵していた。しかし、教育実習を終えた井上さんが体調を崩され、夏の練習、及び中選には不参加ということになり、私達はまた大きな戦カを失うことになった。

 さらに北川・前田組が集中講議のため遅れて参加することになり、加藤・岩尾組はたった一ペアで団体戦を勝ち抜かなければならなくなってしまった。とはいいながらも、私達のペアはなかなか二人でテニスをするところまでいけない。私も前衛として加藤さんをリードしていくことが出来ず、どこかお互いに遠慮しているところがあった。これはシーズンを通じての私の反省でもある。

 そんな中、心に不安を抱えながらも中選に出発した。プレッシャーよりも、どうなるかわからない、なるようになれというのが正直な気持ちだった。毎回、誰かが欠けている鳥大女子チームではあったが、今回開会式の朝に島大の女子の大群に挨拶されたときほど情けなかったことはない。一ペアしかいないことを隠せるわけではないのだが、思わず分身の術でも遣ってカムフラージュしたくなってしまった。

 さて、絶対に負けられない私達の関心は対戦相手にあった。四本シードとはいえ、最初から油断は出来なかった。とにかくニペア分戦って勝たなければならないのだから。しかし蓋を開けてみると私達はラッキーだった。二回戦、三回戦の相手とも、一ペアで編成されたチームだったのである。

 広文教Dチームを倒し、次の相手島大Fチームはというと、なんと昨年の主将ペア、栗原・光石組であった。相手は四年生、練習不足とはいえ、本番になると怖い相手である。栗原さんは加藤を走らせてくるに違いない。ロブの展開が苦手な私は嫌な予感がした。一ペア同士の対戦ばかりで試合進行が異常に速い私達のゾーンはコート内で真っ先に三回戦に突入した。しかも三回戦からはエールがある。オーダーを交換してトスをした。負けた。栗原さんは「どうぞお先に。」と勝ち誇ったように微笑んだ。仕方なく私達は肩入れのようなエールをして周りの中から注目を集めたのであった。

 さて、試合の方はサービス・キープでファイナルになった。サービス権は島大。一本目、栗原さんのダブル・フォルトに救われ、最後は加藤さんがレシーブを得意のサイドプレスで決めて、私達は八本に残ることができた。この試合の勝因はリラックス出来たことだと思う。ファイナルになったときも、割合に落ち着いていた。このときベンチで温かく見守って下さった熊谷さんの力はとても大きかった。

 この日、男子Aチームも佐々木さんが院試のため不参加ではあったが、二回戦山口大CチームをB-Oで倒し、続く広島大Cチーム戦では、長川・安治組が相手チームの柱、竹内・久民組の運勝を二次戦で止め、無事二日目に勝ち残ることができた。長川君は自分からよく攻め、安治君はチップしながらも華麗なボレーを何本か決め、見応えのある試合を見せてくれた。

 男子Bチームは、二回戦下関市立大AチームにO-Bで負けた。「何とかならないか」と思わせながら、最後まで力を発揮することが出来なかったようだ。Bチーム以下がもっと勝ち抜いていかなければ鳥大は強くなれないのではないだろうか。

 ともあれ、男女ともAチームは勝ち残り、それぞれ明日への闘志を燃やしながら一日目は暮れた。

 この夜のことを、私はどう書けばいいのだろうか。二人だけの女子の部屋で、加藤さんは突然「中選でやめる」と言った。あまりにも突然だった。足元をすくわれた思いでいろいろ話し会ってみたが、彼女の決意は固いようだった。私は明日の試合のことよりも、今後の見通しが立たなくなってしまった事に動揺しながら眠りについた。

 大会二日目。今日も相変わらずの強風で、ラインも砂が消してしまうほどである。早朝、北川・前田組が到着し、私達はニペアで戦えることになった。

 四本がけの相手は山口大学Aチームだ。昨年の中選でもここで山大と対戦し、無我夢中で戦い、勝ち残ったことを思い出す。しかし、今日は夢中どころか複雑な気持ちを抑えきれない。北川・前田組は夜通しの移動で見るからにコンディションは良くない。私は加藤さんの真意が計り切れず、「団体戦なんだ。」「勝たなければ。」と思いながらも行動は伴わない。

 とうとう気持ちの切り替えができないまま試合開始。立て直せないまま試合終了。あっけなく負けて円陣を組んだとき、私は言うべき言葉が見つからなかった。私達のチームが「寄せ集め」という気がしてならなかった。団体戦だというのに、それぞれが何を考えているのかわからない状態が情けなかった。コートに立ったら、勝つために全員が一つにならなければならないはずだ。多少強引にでも私がそうしなければならなかった。試合に負けたこと以前にチーム自体がばらばらだったことが悔しくて重かった。終わってみて言っても仕方ないのだが、後味の悪さが残った。

 気を取り直して男子の応援に行くと、岡山理科大学Aチームを相手に苦戦していた。前日好調の長川・安治組をトップに出したものの2-Cで敗れ、二番手は長谷川・飯塚組。なんとか長谷川さんに勝ってもらいたいところだったが、相手のファーストに飯塚君のバックレシーブはミスが重なり、これも2-Cで敗れた。残るは竹谷・糸川組。瞬間的に向きが変わる風の中、主将の意地を見せてもらいたかったが、ラリーが続かず自滅ともいえる展開で2-Cで敗退。これで男女とも団体戦の幕を閉じた。

 午後は前述のように、あまりの強風のため個人戦は翌日に持ち込されることになった。

 その夜、恒例の四年生会が催され、なかなか帰ってこない四年生を待って、ロビーで寝た勤勉な主務がいたとか…。涙を誘うお語。

 個人戦については、会場が異なる人の試合は見ていないので、記録の頁を見て頂きたい。私の見た限りでは、森田・松本君が元気のいい試合をしたのが印象的だった。一回戦にファイナルで勝った彼らの二回戦の相手は、第一シード広大の田崎・藤井組だ。例の四年生会で完壁に二日酔いの田崎選手を、森田君は積極的な強打で攻める。激しい打ち合いの末、ファイナル・ジュースに持ちこんだものの、先にミスをして惜しくも勝ちを逃がしてしまった。森田君はミスの数こそ多いが、思い切りよく打っていく姿勢が見ていて気持ち良く、今後に期待したい。松本君もいろいろやってみようというガッツが見られ、試合を楽しんでいたようだ。二人とも、来シーズンは大きな戦力となって勝ち進んでもらいたい。

 さて、私はといえば最低の試合で初戦敗退、、試含中、余計なことばかり考え、割り切ることが出来なかった。加藤さんと組む最後の試合になるかもしれない、今度こそ個人戦で勝ち残りたいという気持ちをよそに、ペアとしてどう戦っていいのかわからないまま、自滅していた。もちろんそのことだけを負けた原因にするつもりはないが、団体、個人を通じて、テニスをする以前、相手と戦う以前に終わってしまったことが情けなかった。

 というわけで、特に私たち女子にとっては波乱含みの大会であった。中選といえば、夏合宿を経て、シーズンのピークともいえる大会である。もっともっと盛り上がっていいはずだ。遠征は試合に勝ってこそおもしろい。一年間を通じて、私達には“好きなことを一所懸命やる”というクラブの基本的性格を欠いているところがあった。来シーズンこそ、みんなで一丸となって練習し、勝つために心を一つにして遠征に臨みたい。新幹部は、前向きに進んでほしい。私もあと一年、今まで以上に頑張るつもりだ。

 他にも書くべきことは多々あったと思いますが、個人的に書いてしまったことをお許し下さい。