西日本大会遠征記
工三 竹谷尚
第三十九回西日本学生軟式庭球選手権大会は、海を渡り四国松山の地で七月二十七・二十八日(団体戦)二十九日・三十日・三十一日(個人戦・シングルス)の日程で行なわれた。
我々、鳥取大学選手団は六名という少人数で車で十一時間という長旅をし、松山に入った。
昨年の三十八回大会もそうであったが、六名(長川・糸川・飯塚・吉村・安治・竹谷)での出場というのは寂しい限りである。西日本学生選手権は、参加することに意義があるというわけではないが、我々中国学運の選手にとってはレベルの差を見せつけられる大会である。我々六名にとって応援がいないというのも寂しいものである。
大会直前の練習においても少人数なばかりに、チーム全体の盛り上がりに欠けていたが、各個人の中ではそれなりに盛り上がっていたのであろう。
大会第一日、団体戦一回戦、我が鳥大チームは、高知大学との対戦となった。一番手、長川・糸川組は相手を全く寄せつけず、GD-1で楽勝、二番手、竹谷・飯塚組、これも相手を寄せつけずと思われたが、竹谷選手のサーブ(ダブルファースト)が入らず、ダブルフォールトを連発してしまい、自滅というなさけない負け方をしてしまった。三番手、吉村・安治組はなんだかわけのわからないうちにG1-Dで苦杯を喫した。
二次戦に入り、相変わらず打つだけであったが、糸川選手のフレームボレーが決まり、どんどん自分達のぺースで試合を進め、これまたGD-1で勝ってしまった。
いよいよ三次戦となったが、近年たびたび三本回しを食らっている我がチームであるが、自分達がするのはほとんど経験がないと言ってよい。祈る様な気持ちでコートを見守る我々であったが、その期待も空しくG3-Dで敗れ去ったのである。
二回戦は天理大学の予定であったが、昨年同様、天理大学と対戦することなく団体戦を終わることになった。
ところで個人戦は、三組がそれぞれ別々の会場になり、試合内様はほとんどわからなかった。
今回の遠征で特筆することはやはり長川選手の活躍であり、その動きには目を見張るものがあった。来年の今大会には、より多くの人間を出場させ、みんなで賑やかに試合をやりたいものである。