三地区大会遠征記

教四 井上みのり

 今年の女子は厳しかった。シーズン始めの三地区にもAチームニペア加藤・岩尾組、井上・前田組で臨まねばならなかった。今年の開催地は山口で、例によって山大コート、維新コートで行われた。

 何故冒頭に、ニペア四人と強調したのか。と言うと、一ペアが試合をしている間、もう一ペアは審判か、もし男子がいた場合はアップに出かけており、つまり、記録が残っていない、ということを言い訳したかったのである。少人数というのが、こんな幣害を生むなんて。

 とにかく記憶だけでなんとか書く事にしよう。去年八本だったので第五シードに鳥大女子Aは位置していた。内16シードに去年8がけで勝った四学大Aが何故か再び入っていて、第四シードの内16シードに島大Aがいるだけで、あとは、とりたてて間題はないドローだった。

 初日、ぽとんど記憶にないが、夕方近くまで試合をし、活水女短BにA-O、北九大AにA-1で勝ち、あと雨で延期になった。(もちろん(?)二本回しをさせていただきました。)その頃には、同じ維新コートでやっていた男子Bチーム、長川・有島組の健闘むなしく第一経大Aというあまり聞いたことのないところに0-Bで散っていた。

 宿に帰ると男子Cも、宮崎大Aに、二ペア同士の戦いに熊谷・藤本組の粘りもむなしく2-Bで散っていた。男子Aも山大コートで山大DにB-0で勝ってひとまず残って帰って来ていた。(当然。去年二位だもんね)

 二日目は、朝から土砂降り。何度も集合し、連絡を待ち、温泉につかり、一日を過ごさねばならなかった。

 三日目も雨。六時に起きたもののゴロゴロしていた。けれど、十時過ぎに小雨になり、やがてパラパラになった。すると、強引な学連の呼び出しがかかり、ぞろぞろコートヘ。水びたしのコートの水とりをみんなでやる。水とりができ次第試合を再開するという強引さで、今にも又降りそうな中で、試合が始まった。

 女子Aは宮崎大AにA-0で勝ち、ベスト8へ。なんと四学はつまづいていた。

 4がけは宿敵島大A。(どっちが先だったか忘れたけど、たぶん、)加藤・岩尾組対斉藤・松井組。いくらで負けたっけ、岩尾さん。

 次に井上・前田組対前釜・福田組。いくらで勝ったっけ、前田さん。とにかく難なく勝ち二次戦へ。

 私は、島大では、栗原さんや、光石さんのいるペアとはとにかくよく当たったけど、斉藤・松井組と当たった記憶がほとんどない。唯一あるのが、三年の春の島定で、なんと勝っているのだ。これを心理的に有効に生かさない手はない。(んっ。三年の中選でひどい負け方をしたのがあったな。まっとにかくその時は思い出さなかった。)とにかく案外気楽にゲームに入れたのが良かった。

 なんとなんと(斉藤選手の攻めのコースがパターン化していたという事もありますが)足が動くのだ。よろよろだけど拾えないボールがない。サイドプレスまで拾える。拾って拾って拾いまくり、つないでつないでつなぎまくった。私だけがこんな調子かとよく見ると、前田選手もいつになく手がよく伸び、ぷちりぷちりと引っかけ落としている。そんなこんなで私達は島大AをA-1で下し、ベスト4入りしたのだった。岩尾さんは泣きながら工ールをかけた。ちなみにこの時初めて私はN先輩の境地を垣間見た気がした。

 準決勝の第一シード福大A戦は、先程の熱戦で集めたすごいギャラリーを興冷めさせてしまう負け方で散てしまった。相手は普通にテニスをしているのに、その普通にさえ歯が立たなかった。どんなところに返球されても、素早く動き、ごく普通のフォームで打つ。このごく普通にというのが強いのだ。私なんて足が遅いし足をきめるのが早いから数割は人様にもよくわかるような苦しい姿勢で返球してしまう。見ている者に、全く乱れたところを見せず、普通に見せる。やはり、やはり基礎でしょうね。みなさんもいつも全てのボールが自分の打点で白分のフォームで打てるようがんばって下さい。

 というので女子は堂々(?)三位。男子Aチームは、三回戦広工大AにB-2で勝ち四回戦熊商大AにB-Oで勝ち、五回戦広大AにO-Bで負け、ベスト8止まりでした。

 ここで悪趣味なことをやってみましょう。一番手竹谷・飯塚組三勝二敗、二番手佐々木・糸川組四勝一敗、三番手長谷川・安治組二勝二敗。フーン。あんまり意味はありませんでした。

 個人戦は、第四日目も雨が降ったこともあり、このまま待機していては、宿泊料が…。ということで、学連の方はやるつもりのようだったが、どこの大学も勝手に帰ってしまい、中止になったそうである。

 いいかげんな遠征記になってしまいました。すいません。これからますます少人数で審判記録、応援と大変でしょうが、うまく手分けをして記録は必ず残して下さいね。