中国・四国大会遠征記

教四 乗本尚子

 本年度最後の大会である中四国学生軟式庭球大会は、10月18,19,20日に山口において行われました。この大会の特色は、ぽとんどの大学が四年生卒業後の来シーズンに向けた新チームを編成して臨んでいることです。そのため、今年主カメンバーで活躍した四年生のいるB・Cチームなどが上位に入賞することがあります。

 我鳥大は、”強い者がAチームに入れる”精神が強く、中四大会においても数年来四年生の力に頼るチーム編成であり、他大学よりも平均年齢の高いAチームで大会に臨んでいました。今年は中選大会のころからAチームの若返りが始まり、今大会では完全に四年生はAチームからしめ出されてしまいました。部員数が少なく層の薄い鳥大軟庭部では、特に1チームに3ペアも必要な男子にとって、四年生のいないAチーム編成はとても思い切りのいることだったと思われます。そして幹部最後の大会となる三年生、これから幹部を始めようとする一、二年生も、何かしらのプレッシャーを感じながら試合に臨んだことでしょう。四年生も大学生活最後の大会となります。ま、余裕ですよ。

 さあ、いよいよ大学対抗戦が始まりました。会場は二つに分かれます。部員数の少ない私たちには、これがとてもつらい。応援がとても寂しくなるから。しかし応援の寂しさより何より、意地です。どのチームも意地でも勝たねばなりません、男子Bチーム以外は。翌日、残ったのは男子Bチームと女子Aチーム。期待の若き男子Aチームは残念ながら初日で敗退、ベスト16でした。

 まずは最初に応援した女子Aチームについてですが……。朝一番、準々決勝の相手は岡山大Bチーム−四年生四人組のご老体チーム、とは言うものの中選大会の優勝チームであります。試合は二面並行であったため、数少ない応援団もまた二つに分かれなければなりません。隣りをみながらこっちを応援。

”なかなか盛り上がらないな……。”

”あっちの方は、盛り返してるみたいだ……。”

”こっちは、えーい、おわっちまった。あっちを盛り上げて勝たすか。”

”あ…おわったんか。”

 前大会中選のときのような、後味の悪い終わり方でした。

 次は、女子と同時に試合の始まっている男子Bチームの応援に行こう。勝ってくれてるといいけど。男子Bチームは四年生の中川・大沢組と加藤・塚田組、それにフレッシュ長川・安治組の三ペアです。対山口大Aチーム戦、応援にかけつけたときは最初のニペアは既に敗退、中川・大沢組VS中野・柿林組、大将同志のとり組が始まるところでした。三年前の中選、同じこの山口大コートで六本まわしの偉業を成し遂げた二人ですもの、きっとやってくれるはず、きっと……。とは言うものの、練習不足には勝てません。忙しい四年生ですものね。というわけで鳥取大学は全滅、男子Bチーム、女子Aチームがベスト8、男子Aチーム、女子Bチームが16本、男女Cチームは残念ながら初戦敗退という結果でした。

 Aチームはなんとしても勝たねばならない。そしてその上、Bチーム以下より先に負けてはならない。若いAチームにとって今大会は特に、その荷が重かったと思われます。男子では一年生ながらAチーム入りした二人、チャンスだとおだてられBチームに引き込まれたけど、まともに一勝もできなかった二人に、こんな時私たちは何を言ってやればいいんだろう。いい経験になったと言うより、彼らにはもやもやしたものが残ってしまったことでしょう。いつか”あー、いい経験だった。”と思える時がくればよいのですが。

 ところで、男子Bチームの四年生の試合をほとんどの人が応援したと思います。皆はどう思ったでしょう、彼らの最後の試合を。私が応援にかけつけたとき、加藤.塚田組の試合は終わって拾りました。非常に残念でした。結局、応援できたのは中川・大沢組だけでしたが、なんと言っても大沢選手の底抜けに明るいプレーは印象的でした。よく一、二年生にもっとばかすればいいとな言ってますが、大沢選手のあのプレーは衰えません。すごいですね。そこらへんの一、二年生よりもずっと若々しいプレーだったと思います。第二、第三の大沢選手の出現を期待しています。

 今年の本大会は進行もよく、大会二日目に男子愛媛大A、女子鳥大Bが負けた香川大Bの優勝が決まる頃、個人戦は始まりました。個人戦は、対抗戦での失敗を忘れないうちにすぐ試合に生かせるよいチャンスです。なかなかすぐにできるものではないけれど、前日の自分よりも何かを得て帰れなければ、個人戦の価値は半減してしまうと思います。今回はどれだけの人が、個人戦で前進できたでしようか。

 さて個人戦についてですが、私が報告させていただいてよろしいのでしょうか。では遠慮なく。

 ついにやりました。人の迷惑顧みず。冷たい視線気にもせず。ご老体ペアがよろよろと勝ち残り、とうとう優勝してしまいました。鳥大軟庭部員全員をバックに試合できるなんて、爽快ですね。あーこれが団体戦なら、応援も盛り上がれば楽しいもんだから、思わず寝込んでしまう人もなかったでしょうに。まあ別にそれは気にしません、本人は試合に夢中でしたから。

 遠征のミーティングで反省すると、悪かったことばかり挙げがちで、いつも暗い雰囲気になってしまいます。”いつも悪かったばかりじゃなくて、よかったことが言えないのか。”なんて先輩に言われてしまいます。私も一、二年の頃は負けたくやしさだけで、自分が悪かったことしか反省できませんでした。”なぜ負けたんだろう。”なんて、考えられませんでした。でも今回はうれしいことに、”なぜ勝てたんだろう。”と考えられます。

 まず第一に、苦手な平岡・岡組(広島大)が棄権してくれたことが挙げられます。なんて、苦手だと思っているのは私だけで、なんてったって前衛は中尾選手です。気にすることはありません。でも勝利への道が、少し明るくなったことは確かです。

 そして第二に、対抗戦でベスト16に終わってしまったこと。相手は優勝した香川大Bチーム。昨年のこの大会の個人戦準々決勝でも対戦し、勝てなかった川西・出口組に負けました。三戦三敗。Gl−4と、おはなしにもならない試合でした。その時改めて痛感したのは、このペアは二人でテニスをしてるなってことでした。いつもは、くやしくて負けた相手のことを考えられなかったのですが、今回は、相手のペアはなぜ二人でテニスができるのか、相手の後衛はどうやって前衛を生かしているのか、じっくり考えてみることができました。負けた試合では中尾選手は活躍できましたか。中尾選手が活躍できるには、私はどうすればよいのでしょうか。その時、もう一度対戦したくなり、決勝進出を決意したのでした。

 それから今大会は、三度目の正直が重なったと思います。”二度同じ過ちを繰り返すな。”という言葉もありますが、どうもそちらの方はうまくいきませんでした。三戦目にしてその相手への対戦方法を考え、実行できるのが私のパターンのようです。特に今年三地区、中選とお世語になりました丸亀・近藤組(広文短)に、三度目の正直攻撃が通じたことは、優勝への波に乗るきっかけとなりました。

 準決勝は、やはり今年三戦目の大森・岡本組(岡山大)です。でもこちらは私の三度目の正直攻撃が利いたというよりも、今回の優勝の最大理由である中尾選手の爆発が、勝利へ導いたと思われます。私もいつものビビリもなく気分よくテニスをしていたのですが、やはり後衛とは早く勝負をつけたいもの、ついつい岡本選手にちょっかいを出してつかまってしまいました。”あ、しまった。”と思って、だめと知りつつフォローに走りかけると、なんと中尾選手がヒラリとフォローに入ってくれているのです。そして中尾選手は次に、ポーチに出ちゃったりするのです。私は思いました。”この人にまかせておけばいいんだわ。”私はただただ、相手コートにめがけて打つのみでした。久しぷりに爽快な勝利を、バックの皆様にも味わっていただけたと思います。皆がうしろにいてくれたから気分よく試合ができたし、テニスを楽しめたように思います。

 さあ、いよいよ決勝戦だ、出てこい川西・出口組!隣コートの準決勝は、まだ熱戦中でした。もう一度彼女たちと対戦したくて、決勝まで勝ち残った第一の目標は達成できた。今度こそがんばるぞと、闘志満々で試合が終わるのを待った。川西・出口組対八嶋・池田組(四学大)の試合はなかなか接戦で、今大会を余裕でこなしていた川西・出口組が、苦戦を強いられていました。ファイナル・デュースの末、対戦相手は四学大と決まった。すこし期待はずれの決勝戦になりそうな気持ちを押さえ、ここまできたからには優勝せねばと闘志を奮い起こした。さあみんな、私たちの最初で最後の晴れ舞台を見て。という折も折、鳥取って遠いんですよね。皆は今日中に帰りつくために、汽車に乗らなければなりません。あー、とっても残念。まあ、今まで応援してもらっただけでも感謝せねば。でも、やっぱり残念でした。一緒に車で帰るてつとかっちゃんとかとちゃんが応援してくれました。

 対戦相手の四学大とは王座のとき同リーグで、一対二で負けてしまいました。対戦した憶えがないので、八嶋・池田組とは初試合ということになります。未知の相手は苦手なのですが、彼女たちは準決勝の接戦で疲れたのか、案外あっさりと1,2ゲームを先行することができました。と言うよりも、相手が勝手にミスしてくれたようなものですが。3ゲーム目に、私お得意の前衛攻撃が出てしまいましたが、中尾選手の華麗なフォローとボレーに助けられ、改めて私は自分の義務の何たるかを痛感し、彼女にすべてを奉げることにしました。お陰で3ゲーム目もとることができ、4ゲーム目もマッチのプレッシャーを感じる間もなく終わってしまいました。今ひとつ盛り上がりに欠ける決勝でしたが、うれしい勝利です。

 四年間で、一度はトップに立ちたいと思っていましたが、最後の最後に達成できるとは思いませんでした。最後まで応援して下さった皆さん、本当にありがとうございました。心より感謝しています。

 全く個人的な遠征記になってしまいましたことを、お佗びします。ご読破ありがとうございました。