西日本大会遠征記

工四 塚田清隆

 第三十八回西日本学生軟式庭球選手権大会は、三重県伊勢の地で七月二十八、二十九、三十日(団体戦)、七月三十一日、八月一、二日(個人戦、シングルス)の日程で行なわれた。

 三重県と言えば軟式庭球のメッカでもありその上、伊勢市営コートともなれば、雑誌「軟式テニス」のグラビアを飾るほど、この世界では有名な地である。

 ここ数年、我々の鳥取大学は中国地区にある程度の戦績を残して来た。今現在、「中国のテニスは山陰から」の名を手中にしょうとしている。この様な状況下、西日本大会の出場は、中国学連または鳥取大学として、次年度の後輩諸君のためにも必要不可欠な事柄である。(中国から西日本へ)

 我々、鳥取大学選手団、総勢六名(飯塚、竹谷、佐々木、大沢、中川、塚田)は、長旅の末、伊勢入りした。

 静かで、雄大さを感じさせる伊勢神宮に反して照りつける太陽は影をも作らないくらい頭上にあるテニスコートで試合は行なわれた。
一日目(団体戦)は、皆んな期待していたはずの伊勢市営コートでの試合とはならなかった。(地元の風が吹くわけもないので、試合会場なんて関係ありません。全員が燃えています。)

 試合前はいつもながらですが緊張しています。目に入るもの全部が驚きです。なんと言っても他大学の選手の肌の色、それはまさにまっ黒です。「まったく、よく焼けて」と言うのが第一印象でした。我々の中にも負けないぞという方がいて安心しました。

 鳥取大学のチームは一回戦、桃山大学との対戦であった。一回戦はこんなものだと思いつつ、コカ・コーラを飲んだようにスカーッとB-Oで勝った。この時の竹谷・飯塚組が訳せない勝ち味を見せてくれたのが印象的であった。

 二回戦は九州産業大学との対戦であった。一回戦で炭酸発砲が難であった佐々木・大沢組が苦戦の末、ファイナルで惜しくも旭野・広瀬組に負けた。一方、竹谷・飯塚組は相変らずの訳せない味で勝った。中川・塚田組は中川のターボエンジンの回転数がなかなか上がらないにも、粘りに粘った末、ファイナルでやっと勝った。ここで、鳥取大学対九州産業大学は2対1となった。試合は二次戦へと進みます。

 九州産業大学側は、旭野・広瀬組のみが残り、一方、鳥取大学側は、竹谷・飯塚組、中川・塚田組のニペアが残っています。

 二次戦、若手の竹谷・飯塚組は苦戦しています。気楽に訳せない味を見せればいいのに、なぜか勝気に負けている。これがプレッシャーというものでしょうか。一方、中川は「まかせなさい」と言わんばかりに、体を動かしています。経局、竹谷・飯塚組は2-Dで負けてしまった。僕の脳裏には「三本回しはやりたい、しかし、やられるのはいやだ」ともう一人の僕が呼びかけます。これからが本当の意味での勝負です。

 中川・飯塚組対旭野・広瀬組。相手の試合を二度も見て、特徴や弱点は頭の中に入っている中川・塚田組は余裕を見せています。

 しかし、相手前衛の陽気さは別格で、どうしてもそのぺースに入ってしまう。このぺースで僕たちの伸間は負けたのです。中川・塚田組は試合前、ぺースは自分らで作ろうと話し合い、後衛主体のテニスを実現する予定であった。ところが、波は相手のぺースであり、中川のサイドパスもネットとなった。この手もダメ、あの手もダメでゲームは進み、ゲームカウント2−Dで試合は組った。

 またもや「三本回し、してやられた」のだ。この響きは今でもいやである。団体戦終了後、大きなため息とともに、「三本回しっていやですネ」の小さな声を聞いた記憶がある。今となれだ、中川・大沢・塚田は今シーズン限りの選手であり、残すところ何試合かと考えては、頑張るしかないと自分に言い聞かせて来たであろう。

 僕は今回の遠征を振り返り、鳥取大学代表としてが総勢六名というのは非常に情けないと思った。やはり、大学代表が勝ち上がるためには、皆んなで遠征に行かないと無理である。きっと。

 少人数ながらこの経験をした者たちは、来シーズンもある。これはチャンスだ、、可能性を追求した健闘を祈ります。