王座決定戦遠征記

農三 前田聡美

 リーグが終り、いつもなら島定、山陰学生に向け練習をしているのだが、今年の女子は違った。なんと、全日本大学リーグ王座決定戦に出場するため、体育館で朝練をし、日夜東京を夢兄て練習に励んでいたのだ。しかし、大事な戦力である乗本・小林組は、この時、教育実習中だった。練習時間のない彼女達を使うか。練習だけ見ているとそう違いは感じないが、本番になったら……と、私は、ベテランの彼女達に無理をしていただくことにした。

 六月十四日の朝、中尾さんと、一年から三年までの五人は、浜田荘前に集合し、大沢号と佐々木号に分れて、ひっそりと出発した。

 バスで大阪まで行き、新大阪で新幹線に乗り込んだ。ペチャクチャ、バリボリ、としていると、前の方の車内から、小太りの平面顔でスポーツ刈のお兄さんが通りかかり再び前の車両へと消えて行った。しばらくすると、メガネをかけた背の高い学連のお兄さんがやって来て、「交通費あげよう」と言って下さったので、これは水増し請求をしようなどと言っていたのだが、結局のとこ、片道分、ぎりぎり程度が支給された。東京駅で、広大の人々と合流し、山手線で新宿に行き、ここで、維み合わせ抽選に行く人間と、のん気に昼食を食べに行く組と分かれることにした。私と広大の二人は、小田急線に乗り、、参宮橋で降り、会場を目指した。

 宿泊場所でもある「国立オリンピック記念青少年総合センター」の一角にある体育トレーニング室へ行くともう殆んどの大学が来ていたようだった。

 抽選は、シード校が一校ずつ分けられた。A・B・Cの予選リーグを決めるもので、鳥大は、Cブロックで、中京女子大学、四国学院大学の組み合わせとなった。

 夜、代表者会議終了後、ミーティングを行った。偶然にも、四国学院大学とは、三地区であたったばっかりだったので、絶対勝とうと話し合った。乗本さんと小林さんは、夜行で来られるので、直接会場へ行っていただくようにした。

 十五日の朝、朝食後すぐに出発し、電車を乗り継ぎ、川口芝スポーツセンターへ向かった。乗本さんと小林さんは、先に来られていて、開会式の後、試合会場となっている、北町コミュニティーセンター内、蕨市民体育館に行った。

 コートは二面で、ピカピカと床がよく手入れされていた。四十七年卒の加藤さんが、わざわざ会場の方へ、お子様連れで応援に来て下さった。初めての大会で、監督もいない私達にとって、この上なく心強く、かつ嬉しかった。

 一対戦目は、中京女子大だった。先発に、加藤・中尾が、結果は3−Dで負けはしたものの善戦してくれた。次に出た井上・前田は、加藤さんにも、色々アドバイスをいただいたのに、全く何もしないうちに負けてしまった。最後に出た乗本・小林は、出だしは練習不足が出ていたが、4ゲーム目、10−Kと健闘し5ゲーム目はC-0と取ったのだが……。結局1-Cと負けてしまい、一勝も出来なかった。

 二対戦目は、三地区では勝った四国学院大学。加藤・中尾が3-Dで負け、次に、乗本・岩尾が、皆をはらはらさせながらもD−4で勝った。そして、井上・前田。かなり接戦をしたが、それでも、3−Dで負けてしまったのだ。従って、1−Aとなり、Cブロックでは最下位となってしまった。

 乗本さんと小林さんは、その日の夜行で帰られ、残りは、十六日朝、オリンピックセンターで解散し、観戦組と観光組に分かれた。

 決勝リーグを私は見ていないけど、予選リーグを見て感じたのは、強いチームは、チーム全体がキビキビしていて、堂々としていることだった。厳しい練習や、競争に生き残った自信があった。

 一緒に行った中には、試合に出られなかった者もいるが、試合を見ながら、さぞかしイライラしたことだと思う。また、試合に出た人間も、一人一人が色々考えたと思う。昨年から今年にかけ、実業団、団体があり、加えてこの王座決定戦と、日本のトップレベルの試合が見られたわけだから、このことを生かして、来年の王座にも出られるように頑張って欲しい。(私も頑張りますが。)2回目となると、きっと何かが変わると思う。

 最後に、紙上ではございますが、加藤さんわざわざ来て下さいまして、ありがとうございました。