三地区大会遠征記

教三 乗本尚子

 第31回中国・四国・九州三地区学生軟式庭球大会は、松山において4月26日〜5月1日の日程で行われた。

 シーズン最初の試合であり、今季の鳥取大学の命運を占う上でも重要な大会である。山陰に住む私たちは、冬期は雪のため野外練習ができない。このハンディを克服するために、今期からは合同での筋カトレーニングも続けてきた。今年は例年にない大雪で、実際にコートが使える状態になったのは、三月も下旬近く、三地区までほぼ一ヶ月ぐらいしかなかった。一ヶ月あまりの練習で大会に臨まねばならず、あせりと不安を残しながら私たちは松山入りした。

 大学対抗戦において、男子は中四国大会三連覇が今シーズン最大の目標でもあり、今大会でどれだけの成績を収めるかが目標達成の先駆けになるとも言え、期待されていた。また、昨年の主カメンバーの抜けた大きな穴を、どう埋めていくかも注目されるところだった。

 女子は、近年あと一歩のところで入賞を逃してきた試合も多く、今年こそ賞状を手に入れることを目標に大会に臨んだ。

 しかし、大会二日目まで勝ち残ったのは、男女Aチームのみで、そのAチームも内シードに敗れ、男子34本、女子16本という惨憺たる結果に終った。

 対抗戦では、男子はやはり福岡大Aの力はすごく、今年もトップの座をとったが、島根大学Aチームがノーシードから8本まで勝ち上がり、準々決勝で福岡大学チームと戦った試合は印象的で、隣県の大学としても大いに刺激され、先に負けてしまった悔しさを感じずにはいられなかった。

 女子は、広文短Aチームと福岡大Aチームの決勝となったが、中国学連トップの広文短Aチームが翻弄され、自分達のテニスのできないままに敗れていく姿を見て、レベルの差を思い知らされてしまった。

 一昨年には、鳥大Aチームの戦績も然ることながら、B・CチームもAチームに迫る勢いだった。逆にBチーム以下の追い上げによって、Aチームの入賞が果たされていたと言える。しかし昨年来、AチームにBチーム以下がついて行けない状態になりつつあり、今大会でもその兆しが見られるようだ。部員の小数化により、層も薄くなり格差の広がってしまう傾向にある現状ではあるが、Bチーム以下の奮起を希望せずにはいられない。

 大会も三日目から個人選手権に入った。参加ペア数は男子408ペア、女子257ペア、ドローも四ぺージに渡っている。この中から男女それぞれ、一ペアずつ勝ち残り、選手権を取るのである。

 一回戦、二回戦とすすんだ昼ごろから空模様が悪くなり、ついには本格的な雨になり、その日の試合は中止となってしまった。私のいた会場で、私たちペアを残して皆、敗者審判を終えた頃のことだった。

 宿舎に帰り、残留組を確認すると、会場により進行はまちまちだったが、結局勝ち残ったのは、乗本・中尾組32本、藤原・小林組、長谷川・塚田組64本、小笠原・山本組128本の四ペアだった。

 四日目も断続的な雨のため、次の日へ延ばされた。五日目、五月一日、コート状況や進行など心配されながら、なんとか選手権を再開することができた。

 小笠原・山本組が朝一番に消えてしまったが、残る三ペアとも奮起し、長谷川・塚田組は第ニシードを破って32本、16本入りし、8本決めで福岡大に敗退した。

 女子ニペアは、お互いを刺激し合うように8本まで勝ち進んだ。準々決勝で藤原・小林組は、対抗戦優勝の福岡大磯谷・佐藤組とあたり、惜敗した。

 乗本・中尾組は準々決勝から、相手にまずリードを許してしまい、ダメかと思わせながら逆転勝ちを収めるという、応援泣かせのビビリテニスで、ベスト4まで勝ち残った。四ぺージに渡るドローの、一ぺージ分の代表ペアとなった。

 入学して初めて出場したのは、三地区だった。ドローに書かれた出場ペア数の多さに驚き、こんなに大勢の中から勝ち残るのは、どんな怪物だろうと信じられなかった。しかし今、白分はベスト4に残ったのである。自分が一年生のとき別世界の人のように思えていた勝者たちも、白分達が勝ち残った今、後輩にも夢ではなく、現実の目標として勝つことを考えられるのではないかと、うれしく思った。

 しかし、そこでの満足感が、開き直りを謙虚にさせてしまい、準決勝では悔いの残る試合で退くことになった。ほんとうに決勝へ進みたかった。優勝したかった。試合の時、今ぐらいの欲を持って向って行けばよかったと、悔やまれてならない。

 また、応援なし、二人きりで勝ち進み優勝した対戦相手の若杉・渡部組(島根大学)の強さも痛感した選手権だった。

 しかしこれが、団体戦で勝てず、個人戦で思わぬ活躍をしてしまう乗本・中尾組の今シーズンの成績を占っていたとも知らず、残留八人は海越え山越え、鳥取への帰途についた。