中国学生軟式庭球選抜インドア大会

農二 中尾建子

 中国学生選抜インドアは十二月十九・二十日の日程で、十九日は練習とレセプションで互いの交流をはかり、二十日は試合が行われました。我鳥大からは、藤井・末次組、高橋・石原組と藤原・中尾組の三ペアが出場しました。

 さて、今年度ランキング十一位(この出場ペアの中で一等ゲベ)の戦績をふり返ると、前半の試合はわりと調子が良かったが、後半ではあまり勝てなかった。そのためもうインドアに出場できないと思っていた矢先の通知でありましたので非常に喜び、とにかく相手は皆強いから、たとえ勝てなくとも最後まで食らいついていく試合をやろうと始まる前から堅く誓っていました。

 私達のリーグには、谷野・阿部組、横地・中田組と藤原・中尾組の三ペアが戦い、結局リーグニ位に終わりました。今まで三戦三敗の谷野・阿部組にファイナルで勝てたことは非常な喜びでありましたが、四年生で忙しいらしくあまり練習をされていなかったようなので、もう少し楽に勝てる試合なのに、前衛がレシーブが打てなくなり(なぜか打ちかたを忘れた)最後まで後衛に迷惑をかけ足をひっぱり、苦しい試合をしてしまった。リーグニ位といっても、三ペア共に一勝一敗の同率で得失点差で決めたために、この試合を長びかせたことがリーグ一位になれなかった大きな原因となりました。少なくともC-2で勝ってさえいたなら一位になれたかと思うと、勝てばいいというトーナメント方式の試合に比べて、とにかく気の抜けないリーグ方式の試合の難しさが強く感じられました。

 高橋・石原組も予戦リーグニ位、藤井・末次組は予選リーグを抜け出られたが、決勝トーナメントで、河野・有馬組に善戦されたものの、3-Dでおしくも負けられ、三位に終ってしまいました。しかし、高橋さんの粘り、石原さんの足の速さ、藤井さんの気迫が来年度からの試合に見られないと思うと、さびしくなると同時に、このプレーを引き継ぐ者が出てきてほしいものだと感じました。

 全体としては、男女共、招待選手が優勝し、特に女子においては、決勝戦以外は、上野・藤村組から一ゲームも取れなかったため、いかに中国学連のレベルが低いかをまざまざと見せつけられました。その上、決戦勝に出たのが一年生ペアの面出・小田原組(ちなみに、ランキングニ位)であったため、さらに佗しくなりました。

 多くを感じた大会でしたが、ギリギリでも出場できたため得られた貴重な体験でしたので、来年度からの足がかりとして、大いに役立てたいと思います。

付録

― インドア運転記 ―

 私達は、この大会のある広島へは車二台で行った。少し距離はあったが、男の方はどなたも運転できるため、交代で運転することにより、広島へ乗り込んだ。

 二日目の朝、私達は朝食を済ませ、会場へ行こうとした。ついでに、島大の四人の方も乗せてあげることにし……十人が二台の車に分かれた。

 T氏の車には島大の方2人とA氏と私が乗った。大きな橋を走りつめると前に十字交差点があった。そこで今回の事件がおきたのであった。もっとも、それ以前からそのきざしを示していたのだが……。

 鳥取のど田舎を走っていた車が、この広島を走るので興奮したのであろうか、道路で何回ものエンストをおこした。そして、あの交差点で右折をしようとしたとき、再び工ンストをおこした。

 エンジンをかけようとするが、なかなかかからない、その上にかけるときの音が次第に小さくなり、最後には、キーを回しても音さえ出ないのだ。

 ”バッテリーが上がってしまった”とT氏。

 なんと交差点のド真中である上に通勤ラッシュにもぶつかった。車と人が注目する中、A氏はいやいやながらも降りて車を押し始めたが、車は動かなかった。

 私は絶対にいやだった。まだ嫁入り前の娘なのに……。でもここにいるわけにもいかず、しぶしぶ降りて四人であの車を押し始めたのだった。

 交差点をはずして車を止め、島大の方にタクシーで行ってもらい、そして、S氏の車を呼んでもらうことにした。それを待っている間は長かった。忙しく動く人と車の群れの中に動かない車と三人がその場に不似合であった。その上、ゴミ取のおっちゃんには、車がじゃまだと怒られ……。

 T氏日く”あのうっとおしい開会式に出なくって済んだんじゃあないか、よかったナ。”

 ふん、まだ開会式の方がよかったョー。