中国・四国大会遠征記(松山)

農三 藤井祥男

 我が鳥大軟庭部は、僕がキャプテンをするようになってから(五十六年十一月から)、団体戦において山陰学生大会(鳥取)優勝、三地区大会(福岡)三位、県クラブ対抗(鳥取)優勝、中選(山口)三位、五大学(岡山)三位、と昨年度に比べればまずまずの戦績であった。しかし、今度の中・四国大会では定席三位のジンクスを破るべくすばらしい活躍をし、念願の優勝を果たしたのであった。では、この時の活躍の模様を詳しく書き記すことにしよう。

 十月十四日、出発。僕は今大会は特に出発の時から気を引き締めて行くことが肝要に思い、キャプテンとして出発前に部員を集合させ、「僕らはこれから試合をしに行くのだ。だから、はしゃいだりして試合のことを忘れるようなことは絶対にないように。そして何をしている時も、頭の中では試合のことを考えているように。」と一人ひとりに気合いを入れたのである。このことがあって、今大会遠征は、以前と違った雰囲気に包まれていた。

 十月十五日、団体戦初日。鳥大Aチームは初戦、岡商大Cチームとやり楽勝であった。このとき相手はニペアであり、三番手高橋・高見組はすっぽかされ残念ながら試合をさせてもらえなかったのである。

 次は16本がけで松商大Aチームとやった。一番手藤井・末次組は苦戦をしながらも勝ち星をあげた。これはまあ、当然のことであったが、予期しなかったのが二番手松山・近藤組のゲームカウント3-0でマッチを何本か握ってからの華麗なる敗退であった。僕はこの時、まるで夢でも見ていたかのような気持ちであった。あまりにも華麗すぎたからである。と同時に、対松商大Aチーム戦においては、僕が3本まわさなくてはならないという使命感を覚えたのであった。とはいうものの、この時点では一次戦1-1で三番手高橋・高見組の試合がまだ行なわれてなく、相手チームを一本でも食ってくれれば、という幽かな期待を残していたのである。しかし、この期待も予想通り裏切られ、一次戦1-2となり、早くも鳥大Aチームは苦境に追いやられたのであった。

 さて、二次戦に入った藤井・末次組は、例の松山・近藤組に華麗なる逆転勝ちをした松商大ペアとやったのだが、これは気合いの入った藤井・末次組に手も足も出ず、といった感じで4-0で飛ばした。

 少しの休憩の後、三次戦だが、僕はこの時ほどしんどい試合をしたのは生まれて初めてであった、といっても過言ではないと思う。それほど苦しい戦いであった。この時の相手は、後衛はすごくロブが上手で、それにすごく粘り強く、前衛はスマッシュが得意であり、勝負師であった。僕が最も苦手とするタイプであったのである。ゲームカウント2-3でマッチを握られたとき、相手のファーストサーブを末次がレシーブし、相手後衛がそのボールをストレートに打ち返したところ、僕は生きるか死ぬかの勝負をかけたのだった。それは右ストレートの相手後衛の返球をクロスヘ引っぱったのであった。そうしたところ、ちょうど相手前衛がストレートへかもりに出ていたのできれいに決まったのである。この時のボールは一生僕にとって忘れられない一球となった。そこで、九死に一生を得た藤井・末次組はそれからファイナルに持ち込み、見事、3本回しをやってのけたのであった。この時、僕は何ともいいようのない満足感に浸っていた。と同時に疲れの波がどっと押し寄せていた。何せ、3本回しといっても優に五試合分を超える量をこなしたといえるからだ。

 十月十六日、団体戦二日目。鳥大Aチームの8本がけの相手は、第四シードの岡大Bチームを3本回しして上がってきた広工大Bチームであった。Bチームといっても四年生がおりてきており、実質的にはAチームであった。

 例によって藤井・末次組が一番手に出たが、この時すごく風が吹き乱れていて、ゲームカウント2-0とリードしつつも風にペースを乱され、挽回されて負けてしまった。二番手松山・近藤組は一次戦を二面並行でやっていたものだから僕らより早く試合が終わっていて、僕らが負けた時、隣では三番手高橋・高見組が試合をやっていた。そんなわけで僕は、松山・近藤組が勝ってくれたかどうかがとても心配だった。というのは、対戦相手が相手チームの1本であったからである。しかし、その時点では、僕がやらねばならなかったのは、結果を知るよりまずは高橋・高見組の応援であった。だが、応援むなしくもあっさり敗退した。

 高橋・高見組が敗れた瞬間、僕は、どうか松山・近藤組が勝ってくれているようにと、祈るような気持ちでいっぱいだった。ところが松山・近藤組が二次戦に入る準備をするのを見た瞬間、初めて一次戦は勝っていたのだと、知ることができ、ほっとため息をついたのであった。と同時に、松山・近藤組は相手チームの1本に意外とあっさり勝っていたんだと知った。まことに我ながら情けない語である。一次戦の結果は1-2でまたもや、鳥大Aチームは苦境に追いやられたのであった。頼みの綱は松山・近藤組で、僕らは必死に応援した。そして、応援の甲斐あって二次戦、三次戦とあっさり勝ち、松商大A戦の藤井・末次組の3本回しに続いて今度は、松山・近藤組が3本回しをやってのけたのであった。しかし、この時ほど、松山・近藤組の強さを見せつけられたときはなかった。広工大B戦を終わって鳥大Aチームは8本入りを果たした。

 次は準々決勝で、鳥大Aチームは8本シードの広修大Aチームと当たった。一次戦二面並行で、一番手は藤井・末次組であった。相手は、後衛が中選の時にあたって僕が負けた相手だったので、今度は絶対に勝ってやるとの決意と気合いの充合入った試合内容で、4-1で勝った。二番手の松山・近藤組も、得意の藤尾君(我々は、広修の星飛雄馬と呼んでいる)に4-1と勝った。三番手の高橋・高見組は、相手チームの1本と当たり、話にならない試合内容であっさり敗退した。

 少しの休憩の後、藤井・末次組は、二次戦に入った。相手は、チームの1本であったのでさすがに強かったが、気合いの充分入った僕らのペアは4-1でぶっちぎったのであった。そして僕は、広工大B戦の一次戦敗退のもやもやした気持ちを一遍に晴らすことができたのであった。

 次は準決勝で鳥大Aチームは、第一シードの広大Aチームと当った。鳥大Aチームとしては、とにかく接線をして行こうという気持ちで試合に臨んだ。

 例によって鳥大Aチームは、一番手藤井・末次組、二番手松山・近藤組、三番手高橋・高見組のオーダーであった。一方、広大Aチームは、一ペア欠場(就職関係のためらしい)のニペアのチームで、一番を外して、二番手中村・有馬組、三番手河野・二宮組のオーダーであった。

 一次戦一試合目は、松山・近藤組対中村・有馬組で、松山・近藤組にとって因縁の対決となった(過去三戦三敗)。この試合は予定していたとおり接戦に接戦を重ねたが、過去の屈辱をはらすべく松山・近藤組がファイナルで勝った。一次戦二試合目は、高橋・高見組対河野・二宮組であった。これは高橋と河野が同じ松江南高の出身で、二人とも高校時代インハイ団体8本を果たした仲であり、友達の対決であったが、むなしくも高橋・高見組が2-4で敗れた。

 さて、二次戦では、出番を待ちかねていた藤井・末次組と河野・二宮組の対戦となった。これは、僕が鳥大主将、河野が広大主将だから主将同土の対決であった。僕も松山・近藤組と同じように河野には三連敗していたが、まあ、勝ち負けにはあまりこだわらず、とにかく接戦をしていこうという気持ちで試合に臨んだ。

 出だし好調で2-0とリードしたが、突然僕の調子が狂ってゲームカウント2-2に追いつかれた。五ゲーム目、接戦に接戦を重ねた上でものにし(このゲームは大きかった。試合の山であった。)、ゲームカウント3-2とリードし、それから六ゲーム目(相手側サービス)の一本目、河野のファーストサーブをミドルヘシュートで返したところ、球が速かったのとコースが良かったせいか、河野が返球することができず1-0とリードした。二本目もとって2-0とリード、三本目は、僕のセカンドレシーブアタックが決まって3-0となり、3本マッチを握った。そして、僕らはここからがなかなか点をとらせてくれないんだぞと、今一度気合いを入れなおして四本目に臨んだ。四本目は河野のトップ打ちがネットし、この瞬間鳥大Aチームの決勝進出が決まったのであった。結局六ゲーム目は4-0でとったわけである。

 僕は河野を破ったうれしさと広大Aチームを破ったうれしさでその試合が終わったら、顔は思わずぽころび、万歳して駆け込んだのであった。何せ、広大といったら今年の夏、大学対抗戦で西日本選手権を果たしており、今や中・四国など向かうところ敵なしという状態だったんだから、これを倒した鳥大Aチームは本当によく頑張ったといえると思う。その時、学連のやつらは誰一人として、鳥大Aチームが広大Aチームに勝つなどとは思ってもみなかったであろう。それほど、センセーショナルな活躍を鳥大Aチームは成し得たのである。

 十月十七日、団体戦三日目。いよいよ全然予期もしなかった決勝戦の日である。試合開始は八時半だった。この日、我が鳥大軟庭部は朝早くから非常に盛り上がっていた。我々は、五時半過ぎに旅館を出発し、まだ薄暗い中をコートヘ向かった。コートヘ着くとさっそくみんなでランニングをし、体操をした。その後、選手はアップをし、他の者はほとんど知らない学歌を一生懸命覚えたり歌ったりしていた。

 前置きは、これぐらいにして試合の内容に移ることにする。対戦相手は、準々決勝で岡大Aチームを、準決勝で広大Bチームを破って上がってきた愛媛大Bチームであった。まず試合の前に学歌を歌った。

 試合のオーダーは、当然僕が一番で、二番が松山・近藤組、三番は高橋・高見組であった。これは書きたくはなかったんだが、一番手藤井・末次組は全くの不完全燃焼という感じで、皆の期待を裏切ってあっさり負けちまった。とにかく、僕自身のテニスの軟弱さをつくづく考えさせられる試合であった。

 二番手松山・近藤組は危なげない試合で勝ち星を上げ、一次戦1-1となった。一次戦最後の高橋・高見組は、皆の期待を裏切って堂々の団体戦初勝利を果たした。相手後衛がめちゃ足が速く、その見事なフォローにはど肝をぬいたが、やっと本領を発揮できたという感じの高橋・高見組が接戦をしながらもよく頑張ってくれた。これは絶対大きかった。

 結局、鳥大Aチームは一次戦2-1とリードした。僕が負けた時はダメかと思ったけど、松山・近藤組が勝った時には運が良ければ、高橋・高見組が勝った時にはヘタしなければ勝てるというふうに、気持ちが暗から明へと極端に変わっていった。

 さて、二次戦松山・近藤組の相手は、高石・日野組といって愛媛大の1本で僕に勝ったところである。我々鳥大ベンチは、とにかく精一杯応援して勝たせようという気持ちで盛り上がっていた。松山・近藤組はこの時えらく強くて、応援していた連中を始終ドキドキさせたが、4-2で勝ってしまった。

 ついに、鳥大Aチームは、ノーシードから優勝を手にするという非常に劇的な戦いをやってのけたのであった。結局、決勝は3-1で愛媛大Bチームに勝ったのである。負けたのは僕らのペアだけ、松山・近藤組も高橋・高見組も決勝では大活躍というわけで、個人的にはいまいち不満が残るけど、やっぱりキャプテン最後の遠征で優勝できたというのは非常にうれしいし、学生時代の良き思い出になりそうだ。それから、どん底の鳥大からトップの鳥大へ成長という点でキャプテンとして役目を果たすことができてとても感無量である。

 最後に僕はこう叫びたい。「鳥大軟庭部バンザイ!!」

 (個人戦は全々たいしたことないので省くことにする。)