西医体遠征記

医二 岸正司

 八月三日〜八月七日にかけて、西医体が火の国熊本において開催されました。当然のことながら夏は暑く、特に熊本といったら鳥取で生きている私達にとって、全く耐え難いものでした。しかし連続して全医体の出場権(ベスト4以上)を得ている我が軟庭部には、暑さがどうのこうのと言っている場合ではありません。ひたすら根性で勝つしかないのです。

 私達のいるDブロックには、岡大・京都府医大といった強敵がいたし、去年いやな印象をもった富山医薬大がいました。初日、名市大・奈良医大・富山医薬大との対戦がありました。これらには何とか勝つことができましたが、反省すべき点もあったと思います。二日目には、京都府医大・岡大と対戦しましたが、岡大には勝ったものの京都府医大には敗れてしまい、結局Dブロック二位で予選リーグを通過することとなりました。

 決勝トーナメントでは、抽選の結果最初に阪大とあたることになりました。結局勝つことはできましたが、疲れのためかどうしても勝つんだという気魄がいま一つ自分自身に感じられませんでした。

 次は広大戦でした。この試合は4本どりの試合で、ここで負けたら全医体には出られません。広大には七月の中四で勝っていたので、どうしても勝ちたいと思っていました。しかし山田・高須組、石原・小竹組は勝ったものの後が勝てず、結局三対二で敗れてしまい、非常に残念な思いをしました。

 こうしてベスト8に終わり、何年かぷりに全医体に出場できない結果になりました。私個人としては、試合直前に体調を崩し他の人に迷惑をかけたのはスポーツをする人間として本当に恥ずかしく思いました。テニスに関しても、それまである程度蓄積したと思っていた自信が崩れていく感じでした。そして、広大に負けた後などは、くやしくてくやしくてラケットを見るのもいやなくらいでした。

 私にとってろくなことのない遠征でしたが、まあ、こういう遠征もあっていいんじゃないでしょうか。(この西医体が最後となった関さん、村田さんには大変申し訳ごぎいませんが)とにかく私には、いろいろ学ぶべき点が目についた遠征でした。今こうして遠征記を書いていても、悔しさがよみがえる思いがします。月並みですが、今ではその悔しさを来年の西医体・全医体に向けたいと、素直に思っています。