五大学遠征記

工三 日野俊正

 AGORAをお読みの皆さんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?きょうは、昭和56年7月に山口大学テニスコートに於いて行なわれた、中国五大学学生競技大会軟式庭球の部に出場した鳥取大学軟式庭球部にスポットを当てて、彼らの血のにじむ様な練習の成果が、どういう結果に終ったかをお伝えいたします。

 まず、当時4年生で女のボスと言われていた原純子さんにお話しを聞いてみました。

 「山口に着いた。そのことで私は一つの感動を覚えた。なんて遠くまで来たんだろう。長旅の疲れが一層距離感を自分に植えつけた。何のためにこんな隔てた地まで来たのか。駅の階段を降りる時、何か自分をよぎる緊張と興奮に、我ながら苦笑いしてしまった」(アゴラ20号「思い出の三地区大会」参考)

 前おきが長いので、隣りでおもわず吹き出してしまった、当時副主将の日野君にまとめていただきます。

 五大学は私にとって、三度目でした。…………当り前田のクラッカーでした。団体戦のメンバーに入ったのは二度目でしたが、幹部になってまだ一年にも満たない私が、一体どこまでやれるのだろうか。あせりと不安でいっぱいでした。とにかく自分の実力を出し切ることが大事だと自分に言いきかせました。

 最初の対戦相手は山口大学であった。一次戦を3-2とリードしたのには実際驚いた。山大は春のリーグ戦で優勝しているのだった。これならば優勝も夢ではないと思ったが、その手はくわなの焼きハマグリであった。

 二次戦は、藤井・石原組と馬場・三戸組、日野・末次組と福岡・大森組であった。藤井・石原組はみんなの応援によりファイナルまでもつれこんだが、善戦むなしく敗れ去り、日野・末次組も相手の円熟味あふれるテニスにほんろうされ4-1で惜敗。残った松山・近藤組も二次戦の敗退をまのあたりに見たせいか元気も出ず敗れた。

 自分自身、欲なんて少しもなかった。ただ、こんな遠地に来てまで後悔の涙は流したくなかった。自分のしたいことはすべてして帰ろう。それでなきゃ親に申し訳けないもの。開き直るということは、こうも心をさわやかにしてくれるものだろうか?いや、いわんでいい。

 次の相手は、広島大学であった。多嘉良・高見組、藤井・石原組、小宮山・加藤組、日野・末次組共に敗退、五番手の松山・近藤組だけが勝ち残ったものの、二次戦では二年生の中村・有馬組のおもい切りのいいテニスで押されてしまい、接戦の末敗れた。やはり五本回しをしないといけない、と先を考えると精神的にゆとりがなくなるのかもしれない。

 私の考えでは、日野・末次組と松山・近藤組は必ず勝ち残り、あともう一ペアどこかが一次戦に勝って、まず3-2でリードして、そのまま押し切って、目標としては3位入賞、うまく行けば優勝も狙えるんじゃないかと思っていたが、非常に甘かった。広大の選手の試合中の顔は、鳥大の選手とどこか違っている。そう、なぜなら他人なのだから……ではなくて、気迫がこもっているのがよくわかるのである。苦しい練習を積み重ねて来たのだから絶対に負けたくないという気持で遠征に来ているのである。みんなもこの気持ちを忘れないでいてほしいと思う。

 三試合目は対岡山大学であった。これも広大戦同様一次戦4-1でリードされ、二次戦で日野・末次組も沈没してしまった。対戦相手は藤本・七田組であったが、雰囲気にのまれた様になり、足の動きが悪く、向うが先に打ち込んで、こっちが完全に受けにまわった状態なので、末次が取りに出ても球におされてしまい完敗であった。末次にたよっていた自分を反省した試合である。

 このままでは最下位になりそうだ、一昨年・昨年と4位であったのだから、自分の幹部の時に最下位になったのでは、たまったものではない。が、時すでに遅く、対島大戦は山大戦同様一次戦3-2とリードしたのもつかの間、残った2本に回わされてしまった。

 結局鳥大は最下位であった。この遠征で思ったことは、山大の福岡・大森組のテニスのうまさである。このペアは決して派手ではなく、まあまあの選手だとしか思ってなかった。しかし、去年の五大学も福岡さんに止められ、3位になれなかったのである。彼はフォームが実にしっかりしている。強打の選手ではないが、格別ゆるいわけでもなく、常に真芯でとらえて打っているため、球威はあり、マイペースで試合を進めているのだ。そして、あの完成されたロブ!どんなに打ち込まれようとも、また攻撃の時でも相手前衛をかわして飛んでゆく。やはり、フォームがしっかりしているほど、狙い通りボールも飛んでゆくのである。

 高い遠征費を払っている分、他大学の選手のプレーを盗み、自分のものにしたらよいのだと思う。

 どんなに負けていても、最後の一球まで試合を捨ててはいけない、強気でなければ勝てないと私は信じている。

 応援してくれた皆さん、このような結果で申し訳けなかったと思う。この苦しみの中から何かが生れてくることを信じたい。

 テニスについて語り合い、考える。そして練習し、試合に臨む。それの繰り返し。やっとテニスに賭けてみたくなってきた今日このごろである。