中選遠征記

工一 巻田弘

 この遠征記に於いては、試合のことを中心に書き印したいと思う。そして遠征にまつわる何の方の話は、また場を変えて行いたい。

 我々鳥大Cチームは理由あって、ニチームで編成されていた。

 一回戦山大Eチームと当り、巻田・田口組が千鳥足で二勝、阿野・深田組が元気に一勝し、二回戦へと勝ち進んだ。

 いよいよ二回戦広工大Cチームと当たることとなった。同じCチームとはいえ、敵は四年生中心で、一方、我々は共に一年生のペアで編成されており、我々にとっては荷の重い相手であった。しかし考えれぱ、それだけやり甲斐があり、ファイトもわいてきたのであった。

 一次戦第一試合は、巻田・田口組が中村・久島組と当った。気負い過ぎたせいか、球が続かず凡ミスも続出し、ニセットを連取された。このまま負けたのでは国の両親にもめんぼくないと考え、(遠征前に父から、一年生であるし、力一杯暴れ回って来いという主旨の激文を受けていた。)前衛攻撃に出た。それでやっと一セット挽回した。この頃には、昨夜ほとんど寝ていないことなどすっかり忘れていた。

 しかし、次のセットを失い、3-1となった。ここで再ぴ奮起して、一挙に3-3に持ち込んだ。この間、我が前衛田口は、前後左右に動き回り、ヒョイヒョイと手を出し、よくポイントした。中には相手の後衛がついてきた球を、かって一度も練習したことのない中ボレーで、あざやかに、それもバックで決め、相手チームを失意のどん底に落し入れ、僕を狂喜のうずに巻き込んだのであった。このように我が前衛田口は、ファイトにあふれ、練習のときよりも試合で活躍するという、この上なく頼もしい存在なのであります。

 記述が多少真実性を欠いて来た感があるので、話をもとにもどします。スリーオールになった次のセットを、やはりタイに持ち込んだ安心感が我々の心にすきを作ったのか、簡単に取られてしまった。いや、これは失ったと言うぺきかもしれない。結果的にはこのセットが勝負の分れ目であった。考えるに、このセットを失ったということは、相手の勝負強さもさることながら、我々ペアの未熟さと、練習不足を如実に示すものであった。

 かくして最終セットを惜くも失い、五‐三で敗れたのであった。この試合が中選に於いて最も印象に残り、かつたいへんくやしかったので、思い出すのも苦痛であったが、今後の飛躍のためにもあえてここに印し、反省の材料にすると共に、来季の活躍を期するものであります。なあ、田口よ。

 なお、この試合の後、阿野・深田組も善戦の末敗れた。

 あくる日は、個人戦で、一回戦岡大のチームと当り、第三セットもつれた末取り、結局四‐一で勝った。そして二回戦第一シード堀川・片山組と当り、すっかり相手のペースに乗せられてしまって、自滅した。こうして我々のペアは通算成績三勝二敗で、初めての公式選参加の全日程を終了したのであった。

 かえりみるに、最も興味をそそり、そして、参考になったのは、我が鳥大の前田・高橋組と、堀川・片山組の二度にわたる対決であった。どちらも前田・高橋組の勝利に終ったがその試合運びの功みさ、それに確実なプレーを目の前でみた僕の感じでは当然の結果のように思われた。

 最後に個人的理由で練習参加が遅れ、大変迷惑をかけたことを深く反省し、遠征記の筆を書きたいと思うのであります。